アドレス日本巡礼[155]
投稿日:2014年10月10日
降りつづく雨
伊賀上野から関宿に戻る。東海道では宿場町の面影を一番残している関宿の町並みを走り抜け、伊勢別街道と分岐する「東の追分」を通り、亀山宿へ。往路編のときと同じように亀山駅前でスズキ・アドレスV125Gを止めた。
亀山宿の路面をカラーリングした旧東海道を走り、庄野宿、石薬師宿と通り、四日市宿へ。四日市宿の手前には「日永の追分」がある。ここは東海道と伊勢街道(参宮街道)の分岐点だ。
次の桑名宿では宮宿への船、「七里の渡し」が出ていた船溜まりまで行く。江戸期の東海道は「桑名宿→宮宿」間は海路だった。
ということで桑名宿からは現在の東海道の国道1号を行く。その途中では揖斐川と木曽川が伊勢湾に流れ出る地点まで行ってみる。木曽川、長良川、揖斐川の3川は河口近くでは長良川と揖斐川が合流して揖斐川になり、間に長島を置いて、木曽川と合流するようにして伊勢湾に流れ込む。とてつもなく広い河口は海なのか川なのか、よくわからないような光景。その上を伊勢湾岸道の高架道が通っている。
国道1号に戻ると伊勢大橋で揖斐川、長良川を渡り、尾張大橋で木曽川を渡る。木曽川が伊勢と尾張の国境。木曽川を渡って三重県から愛知県に入った。
名古屋に到着すると、国道19号との交差点近くにある熱田神宮を参拝。そしてその近くにある宮宿へ。ここは東海道の宿場町であるのと同時に熱田神宮の門前町。かつてはおおいに栄えたが、今はその面影はない。
桑名宿への「七里の渡し」が出る船溜まりでアドレスを止めた。現在は公園として整備されている「七里の渡し」跡を歩く。ここには「七里の渡し」碑と常夜灯、時を知らせる「時の鐘」がある。
なお宮宿には佐屋街道との追分があるが、「佐屋路」ともいわれるこの街道は東海道の脇往還で、桑名に通じていた。その間には岩塚宿、万場宿、神守宿、佐屋宿の4宿があり、佐屋宿からは木曽川を船で下って桑名宿に行った。この街道は江戸初期に開発されたもので「七里の渡し」に対して「三里の渡し」といわれた。
あいかわらず雨の降りつづく中、しばらく宮宿の「七里の渡し」跡にたたずみ、名古屋の中心街に入っていった。京都を出てから名古屋まで、ずっと雨だ…。