アドレス日本巡礼[333]
投稿日:2016年4月4日
中山道最古の本陣
西国三十三ヵ所めぐり 2009年6月2日
和田宿から長久保宿へ。長久保宿に着くとアドレスを止め、宿場内をプラプラと歩いた。ここは竪町と横町からなるL字形の宿場で、43軒もの旅籠があった。旧本陣の石合家は中山道の本陣の中では最古の本陣、造り酒屋だった釜鳴屋は長野県内に現存する最古の町家だ。
旧本陣の石合家住宅の案内板には次のように書かれている。
江戸初期の本陣建築で、大名、公卿等の宿泊した御殿と呼ばれる上段之間、二之間、三之間、入側等が現存する。書院様式で、大柄な欄間意匠には寛永前後(1624年前後)の風格がしのばれ、中山道旧本陣中、最古の建築として貴重である。嘉永3年(1850年)の本陣絵図によると、上段の間のほか客室、茶之間、台所等22室が主要部分で、ほかに問屋場、代官詰所、高札場を併置し、御入門のほか幾つかの門、御番所2ヵ所、御湯殿4ヵ所、雪隠7ヵ所、土蔵、馬屋等があった。旧本陣石合家には江戸初期よりの古文書、高札等貴重な文書、史料が数多く残されている。
釜鳴屋の竹内家住宅の案内板には次のように書かれている。
釜鳴屋は寛永時代より昭和初期まで酒造業を営む。この住宅の建立年代は江戸時代前期といわれているが不詳である。大きさは間口9間半(17・27m)、奥行10間半(19・08m)の正方形に近い形で、建坪約100坪(330平方m)、片側住居二列型の典型である。「通りにわ」(土間)は幅3間半(6・36m)で奥まで通し、その中に細長く板敷をとっている。土間の上は巨大な小屋組が現れている。屋根は当初は板葺だったが、昭和50年に瓦葺に葺き替えた。屋根には「本うだつ」が上げられている。「うだつ」については多くの論考があるが、機能については防火のためと格式の表示のための2論がある。「うだつ」にはここに見るような「本うだつ」と2階の軒下部分の「軒うだつ」の2種類がある。
長久保宿では最後に「長久保宿歴史資料館」を見学した。ここは明治初期に建てられた旅籠を利用した「一福処濱屋」。その名の通り、休憩所も兼ねている。
名残りおしい長久保宿を出発し、笠取峠の旧道を登っていく。峠上には峠の石碑。「峠の茶屋」もある。ここで昼食。峠の茶屋のカレーライス(800円)を食べた。笠取峠には松並木が残っている。
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