奥の細道紀行[42]
投稿日:2016年10月14日
最上川を眺めつつ
最上川の重要な河港だった大石田からは、県道30号を走った。この県道30号は最上川を見るのには最適なルートといっていい。交通量も少なく、高台を走り抜けていくので、最上川の河谷と流域の集落を見下ろすことができる。最上川と支流の小国川との合流地点も間近に見られる。
国道47号との分岐点まで県道30号を走ったが、カソリおすすめのツーリングコースだ。国道47号に出たところで、来た道を引き返し、大石田に戻った。
ところで『おくのほそ道』には「最上川乗らんと、大石田という所に日和を待つ。」とあるように、芭蕉は大石田で最上川の川船に乗るつもりだった。だが結局、船には乗らず、陸路で新庄まで行き、そこで泊っている。
そのルートというのは国道13号の1本東側の県道305号に沿ったものだ。
最上川支流の丹生川を渡り、JR追奥羽本線の芦沢駅近くを通り、羽州街道の名木沢宿に出た。
最上川沿いの羽州街道だが、「山形→新庄」間の宿場というと、「山形→天童→楯岡→尾花沢→名木沢→舟形→新庄」という順になる。大石田は最上川の重要な河港ではあったが、羽州街道からは外れている。羽州街道は名木沢から猿羽根峠を越え、舟形を通り、城下町の新庄に入っていく。
ということで大石田に戻ると、スズキST250を走らせ、芭蕉の足跡を追っていく。
県道305号で大石田の町を走り抜け、丹生川を渡り、名木沢で国道13号に合流。
名木沢を出ると猿羽峠を越える。この峠は「七十七曲がり」といわれたほどの羽州街道の難所だったが、今ではあっというまに峠を貫くトンネルを抜け、峠を越えたことに気がつかないほどだ。
トンネルを抜けたところで、旧道で猿羽根峠の頂上まで登ってみる。そこでST250を停め、最上川の河谷の風景を眺めた。
猿羽峠からは舟形の町に下っていく。ここも羽州街道の宿場町。舟形の町並みを抜け出ると小国川を渡る。その先で国道13号を右折し、舟形温泉「若あゆ温泉」の湯に入っていく。出羽三山へとつづく山並みを眺めながら露天風呂につかった。
すっきりさっぱりした気分で新庄の町に入っていった。
新庄は戸沢氏6万8000石の城下町。新庄盆地の中心地になっている。さきほど越えた猿羽根峠が新庄盆地と南の尾花沢盆地(山形盆地)の境になっている。それと同時に、戸沢藩と幕府直轄の天領との境にもなっていた。
新庄駅前の「ルートイン」に宿をとると、さっそく町に繰り出した。
新庄は「新庄まつり」の最中で交通止めになった目抜き通りを華やかな山車がいく。道の両側には数多くの屋台が出ている。さっそく屋台の食べ歩き。お好み焼きを食べ、たこ焼きを食べ、焼き鳥を食べながら生ビールを飲んだ。
曽良の「随行日記」では「大石田→新庄」は次ぎのようになっている。
六月朔 | 大石田を立。一栄・川水、弥陀堂迄送ル。馬弐疋、舟形迄送ル。大石田ヨリ出手形ヲ取、ナキ沢ニ納通ル。新庄ヨリ出ル時ハ、新庄ニテ取リテ、舟形ニテ納通ル。両所共ニ入ニハ不構。新庄、風流ニ宿ス。二日昼過ヨリ九郎兵衛ヘ被招。彼是、歌仙一巻有。盛信、息、塘夕渋谷仁兵衛、柳風共、孤松加藤四良兵衛、如流今藤彦兵衛、木端北村善衛門、風流渋谷甚兵ヘ。 |
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芭蕉は6月1日に大石田を出発した。町外れの阿弥陀堂までは大石田の一栄と川水が見送ってくれた。さらに芭蕉と曽良のために、舟形まで、2匹の馬を雇ってくれた。
ナキ沢というのは羽州街道の名木沢宿のことだが、そこには番所があった。大石田で用意した通行手形を番所で手渡し、猿羽根峠を越えた。今の時代でいえば、国境越えのようなもの。パスポートを見せ、大使館や領事館で取得したビザを見せ、スタンプをもらって国境を越えるようなものだ。
反対に新庄から南下するときは、舟形の番所で新庄で用意した通行手形を納めていくのだ。おもしろいことに、入るときはフリーパスなのだという。このあたりは国境越えのときとは違う。どの国境でも入るときはチェックが厳重で、出るときはゆるやかなチェックということが一般的だ。
芭蕉は新庄では風流の家に泊めてもらった。二日には風流の兄、渋谷九郎兵衛盛信に招かれた。その席には新庄の俳人たちが集まった。
『おくのほそ道』に新庄のことがまったくふれられていないのは、新庄の人たちにとってはきわめて残念なことであったに違いない。