奥の細道紀行[46]
投稿日:2016年10月22日
湯殿山で三山巡礼を終える
芭蕉は「出羽三山参り」では、羽黒山から月山に登り、山頂近くの山小屋、角兵衛小屋に泊まり、その翌日、湯殿山に向かっている。
日出て雲消ゆれば、湯殿に下る。谷のかたわらに鍛冶小屋というあり。この国の鍛冶、霊水を撰びて、ここに潔斎して剣を打ち、つひに月山と銘を切って世に賞せらる。かの龍泉に剣をにらぐとかや、干将・莫耶の昔を慕ふ。道に堪能の執浅からぬこと知られたり。岩に腰掛けてしばし休らうほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ば開けるあり。降り積む雪の下に埋もれて、春を忘れぬ遅桜の花の心わりなし。炎天の梅花ここにかをるがごとし。行尊僧正の歌のあはれもここに思い出でて、なほまさりておぼゆ。総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめてしるさず。
坊に帰れば、阿闍梨の求めによりて、三山巡礼の句々、短冊に書く。
涼しさやほの三日月の羽黒山
雲の峰いくつ崩れて月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
湯殿山銭踏む道の涙かな 曽良
この日の曽良の「随行日記」は次のようになっている。
七日 | 湯殿へ趣。鍛冶ヤシキ小屋有。牛首小屋有。不浄汚離ココニテ水アビル。少シ行テ、ワラジヌギカエ、シメカケナドシテ御前ニ下る。是ヨリ奥ヘ持タル金銀銭持テ不帰。ソウジテ取落セノ取上ル事不成。浄衣・法冠・シメ斗ニテ行。昼時分、月山ニ帰ル。昼食シテ下向ス。強清水迄光明坊ヨリ弁当持せ、サカ迎セラル。及暮、南谷ニ帰。甚労ル。 ワラジヌギカエ場ヨリ志津ト云所へ出テ、モガミに行く也。 堂者坊ニ一宿、三人、壱歩。月山、一夜宿、コヤ賃廿文。方々役銭弐百文之内。散銭百文之内。彼是、壱歩銭不余。 |
---|
芭蕉は日の出とともに月山を出発し、湯殿山に向かった。10分ほどで鍛冶屋敷に到着。ここは昔、刀鍛冶がこもり、刀を打ったところだといい伝えられている。鍛冶屋敷を過ぎると、急な下りになり、牛ヶ首に出る。さらに下ると清川が流れていて、不浄垢離と呼ばれる場所に出る。この水で体を清め、草鞋をはきかえて湯殿山の神域に入る準備をする。月光坂を下りきると梵字川の流れに出る。そして湯殿山神社の本宮に到着だ。
湯殿山神社は鉄分を含む温泉が湧き出る巨大な岩を御神体にしているので、もともとは鳥居も本殿もなかった。
こうして湯殿山の参拝を終えた芭蕉は月山の山頂に戻り、そこから羽黒山に戻っていった。日が暮れてから南谷に着いたのだが、曽良が「随行日記」の最後に「甚労ル」と書いているように、相当の強行軍であった。
さてカソリだが、羽黒山からスズキST250を走らせ、県道44号→国道112号経由で湯殿山に向かった。旧道に入り、湯殿山温泉「湯殿山ほてる」のある入口からは有料の湯殿山道路(200円)で登っていく。3キロほど登ったところに湯殿山神社本宮の大鳥居。その前には大駐車場。そこからは湯殿山神社本宮の専用道路。専用バスか徒歩でしか登っていけない。
ST250を駐車場に停めると、歩いて登った。梵字川にかかる赤い橋を渡り、湯殿山神社本宮に到着。ブーツとソックスを脱いで御神体をお参りする。途切れることなく温泉の湧き出る大岩のまわりをぐるりとひとまわりする。
これで「出羽三山めぐり」の終了だ。さきほどの湯殿山温泉「湯殿山ほてる」に飛び込みで行くと、うまい具合に泊れた。さっそく湯に入り、湯から上がったところで湯殿山に乾杯。冷たいビールをキューッと飲み干した。
そのあとの夕食ではイワナの笹焼き、山ワサビ、コゴミ、トンビダケ、キクラゲなどの山里の味覚を肉鍋やごま豆腐、ソーメンなどと一緒にいただいた。
芭蕉のおかげで、何とも心に残る「出羽三山めぐり」になった。