ジクサー150分割日本一周[41]
投稿日:2020年7月13日
後醍醐天皇の黒木御所跡
隠岐島前・西ノ島の霊山、焼火(たくひ)山の焼火神社を参拝し、焼火林道を走り、別府に戻ってきた。
別府からは県道319号で宇賀まで行き、道の行止り地点で折り返した。
西ノ島の最後は、別府の黒木御所跡。別府港のすぐ近くにある。黒木御所跡には黒木神社が祀られている。
駐車場にジクサー150を止めると、黒木御所跡まで歩いていく。そこには「黒木御所遺址」と彫り刻まれた石碑が建っている。
黒木御所の案内板には次のように書かれている。
天皇は京人の「正しき一天の主を下として流し奉ることのあさましさよ、武家の命運今に尽きなん。と、はばかるところなくいう声巷に満ちて、只赤子の母を慕うが如く泣き悲しむ」中を元弘2年(1332年)3月7日(御歳45)、京を御出発。翌月21日、この山上に隠岐判官佐々木清高のしつらえたる黒木御所に着御になりました。
天皇御在島約1年、楠正成等勤皇の士、続々外に起こり、幕府の形成日々に非となったので、元弘3年(1333年)閏2月24日未明、当地豪族の協力により黒木御所を脱出。此処より西方3キロばかりの美田字宮崎の浦(現在の小向)より御乗船。伯耆の国名和湊に御着陸し、名和長年に奉ぜられて船上山に御幸。翌年(1334年)、建武中興の鴻業を御達成になりました。
案内板の最後には、「当黒木御所は建武中興発祥の聖地」と書かれている。
黒木御所跡を後にすると、別府港の食堂「ドンキー」で昼食。「隠岐に入りカレー」を食べた。イカ、エビ、サザエの入ったカレーだ。