ジクサー150分割日本一周[250]
投稿日:2021年10月30日
小平の鰊番屋
国道232号の霧立峠から日本海に下っていく。苫前で国道232号に出ると南へ。日本海を見ながらジクサー150を走らせる。
苫前町か小平町に入ると、道の駅「おびら鰊番屋」で止まる。海辺には北海道遺産の松浦武四郎の像が建っている。海が青い!
ここでは鰊番屋の「旧花田家番屋」を見学する。とてつもない大きさで、現存する鰊番屋としては道内でも最大規模。花田家は北海道でも屈指の鰊漁家で、最盛期には18ヵ統のニシンの定置網を持っていた。この鰊番屋では5ヵ統の定置網の漁夫のほかに、船大工とか鍛冶職人、屋根職人など200人もの人たちが生活していたという。
明治中期に建てられた「花田家鰊番屋」は現在、資料館になっているが、「木割りは大きく豪壮であり、空間は雄大。玄関から奥に土間を通し、その北側に親方の住居部分を、南側には漁夫の生活部分をもうけ、漁夫の寝台を中二階に備えて三段とし、その機能と合理性を求め、俗に番屋と呼ぶ鰊漁家特有の平面構成である」と、説明書に書かれている。
面積は1階が801平方メートル、2階が105平方メートル。合計すると906平方メートルの豪壮な建物。この小平の「旧花田家鰊番屋」につづく現存する鰊番屋というと、寿都の佐藤家番屋が741平方メートル、小樽の鰊御殿が638平方メートルになる。
小平の鰊番屋が群を抜いて大きいのがよくわかる。
展示されている明治から大正にかけての、ニシン漁最盛期の頃の写真がすごい迫力。春先のニシン漁の季節になると、小平の海は群れるニシンで盛上がり、海の色は乳色に変ったほどだという。それらの写真は「千石場所」といわれた小平の浜をよみがえらせてくれる。漁獲されたニシンの大半は肥料用として魚粕にされたが、写真を見ると、番屋の前は広々とした干し場になっている。
展示されている年代別のニシンの漁獲量を見ると、明治中期から減りはじめ、獲れる年と獲れない年の差が大きくなり、昭和10年代になると激減する。昭和19年前後に盛り返すが、昭和29年を最後にほとんど獲れなくなり、ニシンは幻の魚になってしまった。
鰊番屋の見学を終えると、道の駅のレストランでニシンとカズノコの「にしん丼」を食べた。