ジクサー150分割日本一周[265]
投稿日:2021年11月28日
松前の北海道遺産
江差からから国道228号を南下。ジクサー150を走らせ、日本最北の城下町、松前に到着。慶長11年(1606年)に松前氏が福山城(松前城)を築いて以来、ここは蝦夷地支配の拠点になった。
松前は北海道一の桜の名所。ちょうど桜が咲いている。
松前公園にある松前城を見学。城全体が資料館になっている。目をひくのは「松前屏風」。色鮮やかな屏風絵が、当時の松前の繁栄ぶりを物語っている。船が港を埋めつくし、浜には北海の物産を運んできたアイヌ人たちの小屋が建ち並んでいる。
江戸末期の嘉永2年(1849年)、幕府は北方警備の拠点として、旧城を壊し新城を築かせた。東西240メートル、南北300メートル、16の門、7つの砲台、4つの櫓という日本最後の本格的な築城の城だった。
城内には慶応年間に撮影された写真が展示されているが、それを見ると、高台の上にそそりたつ松前城の威容ぶりがよく伝わってくる。
その松前城も明治8年に取り壊しになった。残った天守閣と本丸御門は後に国宝に指定されたが、残念ながら昭和24年に燃え、国宝は解除された。今の天守閣は昭和35年(1960年)に再建されたものだ。
松前城につづいて「郷土資料館」を見学。松前の歴史がよくわかる資料館だ。
「郷土資料館」には、大坂(大阪)と蝦夷地を結んだ北前船の模型が展示されている。この日本海航路の千石船が、上方の文化を蝦夷地にもたらした。松前藩の交易をになったのは近江商人。日本一の商売のプロ集団といっていい近江商人の交易ルート図が目を引く。
福井県の敦賀には今でもニシン倉が残っているが、敦賀のニシンというのは近江商人が松前で仕入れ、北前船で運んだもの。敦賀のニシンは敦賀港から京都、大坂(大阪)へと運ばれた。
松前では福山城とともに北海道遺産になっている寺町をまわった。ここには法源寺、龍雲院、光善寺、法憧寺、専念寺の5つの寺があるが、福山城裏手の松前神社を参拝したあと、これらの5寺をめぐった。松前の寺町の一角は北海道とは思えないような不思議な静寂を漂わせ、別世界の空間をつくり出している。