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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[332]

投稿日:2022年8月31日

中部一周後編 3(2020年6月2日)

越前の国府めぐり

舞鶴若狭道の小浜ICを出発

舞鶴若狭道の小浜ICを出発

 若狭の国府めぐりを終えると、小浜ICから舞鶴若狭道で敦賀ICへ。敦賀は越前。ここにある越前一宮の気比神宮を参拝する。

 境内には芭蕉像。そこには「月清し 遊行の持てる 砂の上」の句碑が建っている。

越前の一宮、気比神宮の鳥居気比神宮の拝殿気比神宮の芭蕉像

越前の一宮、気比神宮の鳥居 気比神宮の拝殿 気比神宮の芭蕉像

北陸道の武生IC

北陸道の武生IC

武生の中心街。地名は「国府」

武生の中心街。地名は「国府」

 敦賀からは北陸道で武生ICへ。敦賀も武生も越前だが、敦賀は嶺南、武生は嶺北。大山塊が越前を北と南に分けている。

 武生(越前市)は越前の国府所在地。国道8号から武生の中心街に入って行く。このあたり一帯の地名の「国府」が越前国府を証明している。その隣は「府中」。国府がらみの地名がしっかりと残っている。

 さー、越前の国府めぐりの開始だ。

 武生の案内図を見て、まずは越前総社の総社大神宮に行く。入口には「惣社大神」と彫り刻まれた石塔が立っている。案内板には簡単明瞭に総社の役割が書かれている。

 古代に国司は国内各地の神社に巡拝することを求められたが、国内各社の神々を勧請して総社を建立し、総社に詣でることによって、各社の巡拝に替えた。

 越前の総社は鎌倉時代の一遍上人絵伝にも描かれている。

 総社大神宮の鳥居をくぐり拝殿前へ。参拝を終えて境内を歩くと、そこには「越前国府」の石碑があった。

 つづいて現行の国分寺へ。総社大神宮に隣接する国分寺には次のように書かれている。

 天平11年(739年)聖武天皇の勅命により、越前国の国分寺として建立された。

 当時の越前国は石川県をも行政下にあった国内有数の大国であったため国分寺の規模も国中屈指のもので、三大国分寺の一つに数えられたこともある。

 当時は七堂伽藍を連ねたが、度々の火災によってその面影を留めないが、行基菩薩一刀三礼の作で、聖武天皇拝礼の故を以って天拝を称すと伝えられている「天拝薬師如来」が奇跡的にも難を免れ、現在本尊として安置されている。

武生の酒店越前の総社、総社大神の総社大神宮総社大神宮周辺の案内図

武生の酒店 越前の総社、総社大神の総社大神宮 総社大神宮周辺の案内図

総社大神宮の鳥居総社大神宮の拝殿総社大神宮の境内に建つ「越前国府」の碑

総社大神宮の鳥居 総社大神宮の拝殿 総社大神宮の境内に建つ「越前国府」の碑

武生の現行の越前国分寺国分寺の本堂JR北陸本線の武生駅前

武生の現行の越前国分寺 国分寺の本堂 JR北陸本線の武生駅前

 繰り返し言ってるように、国府跡と総社、国分寺は「国府めぐり」の3点セット。越前の国府めぐりを終えると、JR北陸本線の武生駅前でジクサー150を止めた。それを最後に武生を離れ、武生ICから北陸道で石川県に入っていく。福井・石川の県境は越前・加賀の国境。尼御前SAで夕食の「海鮮丼」を食べ、小松ICで降り、小松市内の「ビジネスホテル大地」に泊った。

北陸道の尼御前SA尼御前SAの「海鮮丼」小松に到着。ここはJR北陸本線の小松駅

北陸道の尼御前SA 尼御前SAの「海鮮丼」 小松に到着。ここはJR北陸本線の小松駅

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