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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

屯田兵村と兵屋

投稿日:2010年11月18日

25年間にわたり7371戸が入地

 札幌駅北口の「東横イン」を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、札幌郊外の琴似へ。ここが屯田兵発祥の地。「屯田兵村と兵屋」が北海道遺産になっている。

屯田兵屋の内部


 琴似に到着すると、琴似神社の境内に保存されている屯田兵屋を見る。これは開拓使時代初期の明治7年(1874年)11月28日、琴似屯田兵村に建てられた第140番兵屋だとのことで、建築当時そのままの姿で残されている。内部に展示されている家具や農具など諸々のものは、屯田兵に支給されたものが大半だという。

屯田兵屋
屯田兵屋の内部


琴似神社


 屯田兵たちが琴似に入地したのは翌明治8年5月のこと。青森県から49戸、酒田県から8戸、宮城県から93戸、道内から48戸と、合計198戸、男女合わせて965人が琴似兵村に入った。琴似への入地が完了した明治8年5月27日を記念して、琴似神社の春の大祭は毎年、この日におこなわれている。まさに琴似兵村とともに歩んできた琴似神社だ。 
 屯田兵村の設置は明治8年(1875年)の琴似兵村に始まり、明治32年(1899年)の士別兵村、剣淵兵村を最後に25年間にわたっておこなわれ、その数は38兵村、総戸数7371戸になった。200余戸の中隊をひとつの単位として兵村をつくった。
 屯田兵制度は明治37年(1904年)に廃止されたが、屯田兵たちは北海道の警備と開拓のみならず、西南戦争や日清戦争、日露戦争にも参加している。

 新琴似の新琴似神社の境内には「新琴似屯田中隊本部」の建物が残されていると聞き、さっそく新琴似に行ったが、残念ながら新琴似神社にたどり着けなかった。そのかわり「屯田防風林」と呼ばれるポプラ並木を見た。おそらく新琴似兵村を護る防風林だったのだろう。新琴似兵村ができたのは明治20年(1887年)。120余年たった今では、札幌の市街地のすぐ近くにあるとは思えないほどの、豊かな自然を感じさせるポプラ並木になっている。

新琴似の屯田防風林


 札幌に近い江別の野幌には「野幌屯田第二中隊本部」の建物が残され、その近くには、「野幌兵村」の開村記念碑が建っている。

野幌屯田第二中隊本部
野幌兵村の開村記念碑


 北見の野付牛兵村と兵屋も北海道遺産になっているが、ここのメインは「屯田兵人形」だ。それが北見ヶ丘の麓にある信善光寺に安置されている。全部で75体。昭和8年から昭和11年までの3年間でつくられた。人形1体の制作費は30円。当時の米1俵は9円だとのことで、かなりの額をそれぞれの屯田兵の家族や子孫らが支払ってつくられた。写真をもとにしたというだけあって、顔は桐、胴はサワラでできている屯田兵人形は生生しい。それには各人の名前が書かれている。
 この寺の住職が見本の人形1体を背負って地元の屯田兵入植の家々を1軒づつまわり、多くの賛同者を得て、名古屋の人形師につくらせたものだという。今となっては屯田兵の実像を伝える貴重な文化財だ。

北見の信善光寺
信善光寺の屯田兵人形


 屯田兵村は初期の頃は札幌周辺の石狩に展開されたが、次第にその範囲を上川から道東、道北へと広げていった。屯田兵村は北海道を紐解くキーワード。いつの日か、機会をみつけて38兵村の全部をまわってみたいと思っている。

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