カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

番外編 我が「サケの思い出」

投稿日:2009年11月5日

妻の郷里での貴重な体験

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サケ漁を体験した魚沼を流れる魚野川


 日本でも有数の豪雪地帯として知られる新潟県魚沼地方の小出(魚沼市)には、四季折々、何度となく足を運んでいる。ここが妻の郷里だからだ。
 越後三山の駒ヶ岳(2003m)、中ノ岳(2085m)、八海山(1775m)が目の前にそびえ、上越国境の谷川連峰を源とする魚野川が流れるといった風光明媚なところ。魚野川は信濃川最大の支流で、越後山脈と魚沼丘陵の間の小盆地を貫流し、越後川口で信濃川の本流に合流する。魚野川の両側には豊かな水田が広がり、そこが「魚沼産コシヒカリ」の産地になっている。
 この魚野川には秋になると、サケが登ってくる。日本海、オホーツク海、さらには北太平洋を回遊してきたサケが、海からはるかに遠い魚沼のこの地に登ってくるのというのが、何とも信じがたい、まさに神秘の世界だ。
 そんな魚野川のサケを漁協が一括採捕している。

 そのやり方というのは次のようなもの。
 魚野川の川幅いっぱいに竹の簀を張る。その中で2ヵ所、サケが登れる口をつくり、そこを通って登ろうとするサケが、そのまま鉄製の生簀の中に入るような仕掛けになっている。それを舟に乗って採りに行き、オスは小川を利用した生簀に放ち、メスはすぐさま腹を開き、卵を取り出し、孵化場で孵化させる。そして翌春、稚魚を放流する。

 魚野川でとれるサケは、日本海から100キロ以上も遡ってきたサケである。川を登ってくる間に脂が落ち、淡白な味のサケになる。そのような川魚風のサケを好む人が多く、一括採捕場でサケをとる時間になると、何人もの人たちがサケを買い求めにやってくる。 北海道のサケを見たあとなだけに、この魚沼産のサケに興味を抱き、今日(11月5日)、小出に行ってきた。だが…、残念ながら一括採捕は10月末で終了していた。

「マチカワ」という漁法

 いまでこそ、魚野川のサケは漁協の一括採捕になっているが、1976年まではサケをとる権利を持っている人たちが、「マチカワ」という漁法でとっていた。
 マチカワというのは川岸から6メートルぐらいの間に何本かの杭を打ち、その杭の上流側に、高さ60センチ、長さが120センチほどの鉄製の簀を5枚張り、その先端から下流方向に鉤形に1枚、同じような鉄製の簀を張る。この杭に網をくくりつけて下流側に流す。
 さらに2本の杭にはメッパリと呼ぶしなる棒をくくりつけ、そこから糸を引っ張り、網の上部を通して下部と結ぶ。網は口の広さが180センチほど。口の両側にはケットと呼んでいる棒を立てる。ケット棒は竹製で、下部を割って重しの石をはさみ込み、網が口を開いた状態で固定させる。
 このマチカワはサケが川岸近くを遡ってくる習性を利用したもの。登ってきたサケは簀に行く手をはばまれ、戻ろうとするときに網の中に入ってしまう。網の中で暴れるので、ケット棒が倒れ、網は口のしまった状態で流れる。このときメッパリは大きくしなる。2本のメッパリの間にもう1本、棒を杭にくくりつけ、その棒と網を結んである。さらにもう1本、マチカワの小屋の鳴子ともつながっており、サケが網に入ると、鳴子が鳴るようになっている。

 妻の父親、ぼくにとっての義父はそのマチカワ漁の権利を持っていた人で、サケの季節になるとマチカワ小屋に泊まり込んでいた。ぼくも何度か一緒に泊まりこんだことがある。越後の地酒を飲みながら、マチカワ小屋に泊まりこむのはなかなかのものだ。しかし、いくら飲んでも、酔っ払うことはできない。カラカラカラカラ、鳴子が鳴ると、夜中でもすばやくタモ網を持って外に飛び出し、サケの入った網をたぐり寄せ、網の中からタモ網でサケをすくいとるのだ。
 妻の実家は虫野という集落にある。旧伊米ヶ崎村の村役場のあったところで、130戸ほどの戸数がある。そのうち13戸がマチカワの株(権利)を持っていた。マチカワの株は相当、古くからの代々の世襲だったという。13戸のマチカワの株を持っている家のうち、実際にサケをとっているのは5軒だった。
 このマチカワ漁でサケをとっていたのは、そう広い地域ではない。信濃川と魚野川の合流地点から上流、越後川口から堀之内、小出にかけての一帯で、六日町(現南魚沼市)になると、もうマチカワ漁はなかった。
 マチカワ漁最後の年、義父は全部で24匹のサケを採っている。その内訳は次のようなものだ(カナはオス、メナはメス、大中小はサケの大きさである)。

  10月9日 カナ小1
  10月13日 カナ中2 メナ中1
  10月14日 カナ中1 カナ小1
  10月15日 カナ小1 メナ中1
  10月17日 カナ小2
  10月19日 カナ小1
  10月20日 メナ中1
  10月23日 メナ中1
  10月24日 カナ中1
  10月26日 メナ中1
  10月27日 メナ中1
  11月1日 カナ中1
  11月7日 メナ大1
  11月17日 カナ中1 メナ中2
  11月18日 カナ特大(7キロ)1
  11月26日 カナ中1

 11月末にはマチカワ小屋をこわし、マチカワは12月に入ってから取り外した。
 旧伊米ヶ崎村には全部で11ヵ所のマチカワ漁のできる場所があり、虫野3、伊勢島3、十日町3、岡新田2と振り分けられていた。それぞれの集落内ではマチカワ漁のはじまる前に、マチカワ割りをして漁場を決めたという。
 ここでのサケ漁はマチカワ漁だけではない。鉤のついた竹竿でひっかける鉤漁や投網を使ったナゲステ漁、餌のついていない針、7、8本でひっかけるコロ漁などもあった。

 魚野川でとったサケは、塩をふって寒いところにつるしておいた。メスの場合だと、塩をする前にヨノコと呼ぶ卵を取り出し、それに塩をして保存した。
 ここではサケは暮から正月にかけては欠かせない。
 まずは大晦日だが、その日に食べる年取魚は塩ザケで、年越しのひと仕事を終えた昼食に食べることが多かった。各人が一切れづづの塩ザケの焼き魚を食べた。コブ巻も欠かせないものだった。サケのアラを芯にしたコブ巻で、2、3日かけてグツグツ煮込み、やわらかくしたものだ。それを「そう煮」といっているが、そう煮したコブ巻とサトイモ、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、焼豆腐を一緒に煮る。味つけは醤油味。それにヨノコを散らしたダイコンなますに白いご飯と澄まし汁がついた。
 元日は干し柿とゆで栗を各人がめいめいにひとつづつ食べたあと、雑煮とあんこ餅を食べる。雑煮にサケは欠かせない。雑煮のダシにはサケのアラを使う。雑煮の具にもサケの切り身を入れる。そのほかダイコン、ニンジン、ズイキ、カンピョウ、家によってはサトイモを入れる。餅は切り餅(のし餅)で、焼いて湯に通したものを入れ、その上からヨノコを散らす。このようにまさに「サケ正月」だった。

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魚沼の里から見る越後三山。右手に八海山、左手に駒ヶ岳、中央奥に中ノ岳
魚野川のこの地点でサケの一括採捕をする


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魚野川河畔のサケ一括採捕場
魚野川越しに見る越後三山


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