カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

昭和新山国際雪合戦大会

投稿日:2009年11月19日

地球の息吹が聞こえる町の北海道遺産

 国道37号沿いのJR室蘭本線・洞爺駅前でスズキDR?Z400Sを停め、小休止。有珠山が間近に見える。自販機のカンコーヒーを飲んだところで洞爺湖に向かっていく。国道37号から国道230号に入り、最初のトンネルを抜け、道央道の虻田洞爺湖ICを通り過ぎ、長大な三豊トンネルで洞爺湖カルデラの外輪山を抜けていく。

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 このルートは2000年の有珠山大爆発以降にできたもの。それ以前の国道230号は外輪山の名無し峠を越えていた。洞爺湖を一望する絶景峠だった。
 三豊トンネルを抜け出ると、目の前には洞爺湖が広がっている。湖の中央には中央火口丘の中島が浮かんでいる。湖越しに蝦夷富士の羊蹄山が見える。
 県道2号→県道132号→県道578号と、県道を走りつないで洞爺湖を一周。洞爺湖は北海道では数少ない湖岸を一周できる湖だ。洞爺湖温泉の温泉街を走り抜け、壮瞥温泉を通り、北岸からは洞爺湖温泉の温泉街越しに有珠山を見た。
 1910年、1944年~45年、1977年~1978年、2000年と、この100年間で4回もの大爆発を繰り返している有珠山は、世界でも最強クラスの活火山。国道230号との分岐点に戻ってくると、もう一度、洞爺湖温泉、壮瞥温泉と通り、県道703号で昭和新山に向かった。

 赤っぽい岩肌の昭和新山からは、いまだに噴気の白煙が上がっている。

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白煙を上げる昭和新山


 昭和新山は1943年から45年にかけ、洞爺湖カルデラの外輪山上に噴出した火山の新参者。平坦な畑がみるみるうちに隆起していく様子は当時の壮瞥郵便局長、三松正夫氏によって克明に記録され、「三松ダイヤグラム」と名づけられたその記録は火山研究の貴重な資料になっている。昭和新山の標高は398メートル。溶岩塔の高さは110メートルもある。

 その昭和新山の山麓では毎年、「昭和新山国際雪合戦大会」が開かれ、それが北海道遺産になっている。雪合戦といったら子供の遊びといったイメージだが、それをスポーツに昇華させていった発想がすごいし、いかにも北海道らしい。
 第1回大会は1989年に開催され、昨年の第20回大会には155チームが参加した。来年の第22回大会は2月27日(土)と28日(日)の2日間にわたって開催される予定になっている。
「昭和新山国際雪合戦大会」の様子は「カブタンとノンタンの北海道遺産」に詳しく紹介されている。

子供たちは、みんな雪合戦が大好き。初めて雪を見た人たちも、必ず、手で雪をかためてぶつけ合う。そんな無邪気な雪玉のぶつけ合いが、立派なスポーツになったのが『昭和新山国際雪合戦大会」です。
 おもしろいのが、この大会の生まれ方。昭和新山のある壮瞥町の人たちが、国際ルールを考えだし、90個をいっぺんに作れる巨大たこ焼き製造器…、もとい『雪玉製造器』を作ったのが近くの農機具メーカーさん。スノーシェルターづくりの指導をするのが町の大工さん、当日のコートづくりや審判、運営はみんな町の人々で行なわれるのです。
 お年寄りの方々は、外は寒くてこたえるけどこれなら!…と、公民館で豚汁の野菜切りをしてくれるそうです。なんだか、涙がでるくらい感動的な町全体のチームワークですよね。
 ルールは7人1組。3分1セットの3セットマッチ。雪玉をぶつけ合い、相手人数がいなくなるか、旗をとった方が勝ち。(略)
 いつか、オリンピック競技種目に!
 そんな大きな目標を掲げた小さな町の挑戦です。
 これぞ、北海道遺産!」

カブタンとノンタンの北海道遺産 いつか五輪種目!雪合戦より

 県道703号をはさんで、昭和新山と有珠山が並び立っているが、有珠山の山頂駅までは有珠山ロープウエイで登れる。
 昭和新山、有珠山という2つの火山を目の底に焼き付けたところで、県道703号→国道453号で伊達へ。伊達の市街地の手前にある伊達温泉に入った。露天風呂の湯につかりながらぼくは有珠山大噴火の思い出にしばしひたった。
 1977年の大噴火のときは、妻と生後10ヵ月の赤ん坊を連れて、シベリア横断→ヨーロッパ→サハラ縦断という1年近い旅の最中。8月7日の大噴火の日はポルトガル大西洋岸の小さな町で家を借り、しばらく滞在しているときだった。読めもしないのに、ポルトガルの新聞を買ったのだが、手にした瞬間、もうビックリ! 
 何と新聞の一面にデカデカと「USU」の大爆発の写真がのっていた。そのときぼくは恥ずかしながら有珠山を知らず、きっと「ASO」の間違いだろうと思い、妻には「阿蘇山が大爆発した!」といった。

 2000年3月31日の大爆発の後、8月にはバイクでサハリンを縦断した。東京から青森へ。函館から根室経由で稚内に行き、サハリンに渡ったのだが、その途中、国道37号を走りながら空高く噴煙を上げる有珠山を見た。あまりにも黒煙が空高くまで上がっているので驚かされた。そのときは国道230号は通行止め。有珠山には近づくこともできなかった。

 翌2001年6月には北海道を一周した。そのときは、なんとしても有珠山の噴火を見ようと、迂回路をたどり、激しく噴煙を上げる現場近くまで行った。
 あまりのすさまじい光景にガタガタ震えてしまったほど。洞爺湖温泉の温泉街は灰まみれ。国道230号は完全に消滅していた。立ち入り禁止のロープの張られたすぐ目の前で、大音響とともに有珠山は爆発を繰り返した。その現場から500メートルと離れていないところに「セーコーマート」があり、普通に店を開けていたので、よけいに爆発のすさまじさが増幅された。
 そこが金比羅B火口だった。
 昭和新山と有珠山。この洞爺湖カルデラ外輪山の2つの活火山は地球が生きている証のようなものだ。

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洞爺湖越しに見る羊蹄山


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洞爺湖の湖畔
洞爺湖に浮かぶ中島


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昭和新山
昭和新山から見る有珠山


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樹林越しに見る昭和新山
洞爺湖北岸から見る有珠山


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