カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

土の博物館「土の館」

投稿日:2010年5月4日

 旭川のシンボル、石狩川にかかる旭橋を往復して渡り、旭川駅前に戻ってきた。バイクで旅しながら、ぼくはいつもこのようにして鉄道の駅に立ち寄る。駅が好きなのだ。
 で、今回の北海道遺産、上富良野にある「土の館」に行くのにも旭川駅前を出発点にし、国道237号に入っていった。

十勝岳大噴火の傷跡を見る

 上富良野に行く前に、旭川市内にある「三浦綾子記念文学館」を見学。国道237号を右折してすぐのところに「外国樹種見本林」がある。ここは三浦綾子の『氷点』の重要な舞台。美瑛川右岸の一帯に広がっているが、旭川市民の絶好の散策コースになっている。その一角に「三浦綾子記念文学館」はある。

旭川の「三浦綾子記念文学館」
三浦綾子の『泥流地帯』と『続泥流地帯』


 三浦綾子の人となりをひととおり見てまわったあと、国道237号を南下。美瑛を通り、深山峠に到達。ここでスズキDR?Z400Sを停め、しばらくは峠からの風景を眺めた。十勝岳が雲に隠れているのが残念だ。

深山峠。十勝岳は雲に隠れている…


 日本でも有数の活火山の十勝岳だが、1926年(大正15年)5月24日の大爆発では泥流が発生。泥流は上富良野の市街地まで到達し、死者・行方不明者144人という大災害をひき起こした。そのときのことを書いたのが、三浦綾子の代表作『泥流地帯』。深山峠から見下ろす十勝岳の山麓一帯が泥流に飲み込まれ、一瞬にして死の世界へと変ってしまったのだ。

スガヤ農機の功績

 日本でも唯一の土の博物館、「土の館」も、この十勝岳噴火の大泥流が大きなテーマになっている。
 国道237号で深山峠を越え、上富良野駅近くの十字路を右折した高台に「土の館」(入館無料)はある。「スガノ農機」という農機具メーカーの造ったもの。
「よくぞ、一企業が」と思うほどの出来栄えだ。

世界10ヵ国115地点のモノリス(土壌標本)


十勝岳泥流地帯の「土の断面ガイド」


 入口でもらったパンフレットの冒頭には、「土の館のねらい」として、次ぎのように書かれている。

 地球ができて46億年、土ができ始めたのが4億4千万年前といいます。私たちは、大自然から多くの恵みを受けて生存しています。今から9千年前、エジプトの近くで農耕が始まり食べ物がつくられ、人類のくらしが支えられてきました。それは、原始未開の地を切り開いた歴史であり、現在の豊かな農耕地へと引き継がれているのです。土の館では、土を耕す「農機具」と、作物をつくるための基盤である土を各地から採取してモノリス(土壌標本)で展示し、そこから農業を知り、先人の苦労に思いをよせ、「自然の恵み」に感謝し、「食べ物の大切さ」を視覚でとらえ、これからのことをみんなで考えていきたいと願っています。

「土の館」の2階がメインの展示室。そこでまず目を引くのは高さ4メートルの十勝岳泥流地帯の「土の断面ガイド」だ。その半分は泥流。1926年の十勝岳噴火による泥流がいかにすさまじかったかがよくわかる。
 十勝岳から上富良野までは25キロ。泥流は何と25分で上富良野に到達したという。怒涛のような泥流に人々はなすすべもなく飲み込まれていった。右脇の立体地図には十勝岳から上富良野までのそんな泥流のコースが赤線で示されている。左脇の写真では、その幅1メートル、深さ4メートルのモノリス(土壌標本)を作る行程が紹介されている。
 激しく噴煙を上げる十勝岳の写真も展示されている。
 ぼくは1989年の「日本一周」で十勝岳にやってきたが、そのとき十勝岳は激しく噴煙を上げていた。1988年からずっと噴火がつづき、群発地震も起きていた。いたるところに「十勝岳登山禁止」の立看板が立っていた。白金温泉から十勝岳温泉への十勝岳中腹の道は通れたが、間近で見る十勝岳にはゾッとするほどの迫力があった。
 こうして「土の館」で1926年の十勝岳噴火の資料を見ていると、猛烈な勢いで噴煙を上げる1989年の十勝岳を思い出すのだった。
「土の館」の2階展示室にはそのほか、世界10ヵ国115地点のモノリスが展示され、日本や世界のクワ、スキ、プラウ(西洋スキ)が展示されている。
「土の館」と同じ敷地内にはトラクタの博物館がある。そこには国産第1号機などの日本製19台、世界各国からの輸入機64台が展示されている。ここも日本で唯一の「トラクタ博物館」だ。
「土の館」と「トラクタ博物館」の見学を終えたとき、ぼくは心底、「スガノ農機」という会社に拍手を送りたくなった。

日本唯一の「トラクタ博物館」


世界のクワ、スキ、プラウ(西洋スキ)の展示場


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