天塩川
投稿日:2010年5月8日
日本海に注ぐ、北海道第2の大河
上富良野の「土の館」から旭川に戻ると、旭川駅前に立った。これで旭川ともお別れだ…。
「よーし、行くぞ!」
と、いつものようにスズキDR?Z400Sにひと言かけて走り出し、国道40号を行く。ロータリーの交差点を通過し、旭橋を渡り、自衛隊の旭川駐屯地のわきを走り抜けていく。市街地が途切れ、郊外の田園地帯を走る。比布を過ぎると、前方にはゆるやかな山並みが連なっている。その山並みを越える峠が塩狩峠だ。
塩狩峠はその名前通り、石狩と天塩の国境の峠。石狩川と天塩川の分水嶺の峠でもある。
かつて峠上にあった塩狩温泉は廃業湯…。若者たちでにぎわったユースホステルも今はない…。それが寂しい。
国道40号に平行して走るJR宗谷本線も塩狩峠を越えているが、峠上の塩狩駅は三浦綾子の感動の名作「塩狩峠」の舞台。駅近くには「塩狩峠記念館」がある。
そんなを塩狩峠を越え、北海道遺産になっている天塩川の世界に入っていく。北海道遺産の川というと、石狩川と天塩川、この2本だけ。和寒を過ぎ、士別の市街地を過ぎると、天塩岳(1558m)から流れてくる天塩川の本流を渡った。
風連にある国道40号の道の駅「なよろ」では、うれしい再会があった。
旭川の大宴会に来てくれた佐々木さんが、セローに乗ってぼくを待ち構えてくれていたのだ。CB400Fに乗る田邊さんも一緒だ。さらに佐々木夫人も来てくれた。
「やーやーやー!」で再会の挨拶をしたところで、佐々木夫人に見送られ、我々は3台のバイクで一緒に走り出した。
名寄、美深と通り音威子府へ。
宗谷本線の音威子府駅でバイクを停め、駅舎内のそば店「常盤軒」で黒くてコシのある「音威子府そば」を食べた。駅舎内には「天北線資料」のコーナーもあり、ありし日の「音威子府?南稚内」間の天北線の写真などを見た。
音威子府からさらに国道40号を行き、佐々木さんに案内されて「北海道命名之地」碑を見る。ここは探検家の松浦武四郎とアイヌのアエトモ長老出会いの地。アエトモ長老に聞いた話が「北海道」命名のきっかけになったという。それは置いて、古代日本七道のうちの東海道、西海道、南海道にひきつづいて明治2年に北海道が誕生した。
天塩川の河畔にある「北海道命名之地碑」で佐々木さんらとしばらく話し、ここで別れ、さらに国道40号を行く。天気は崩れ、ザーッと雨が降ってくる。日本海側はこの季節特有の時雨模様。真っ黒な雨雲が通り過ぎると、また日が差してきた。
中川を通り、国道40号→国道232号で天塩へ。町中を走り抜け、天塩港に出る。そして日本海に流れ出ていく天塩川を眺める。ここが天塩岳を源とする北海道第2の川、全長256キロの天塩川の最後の地点だ。