番外編 天塩川流域の峠越え
投稿日:2010年5月9日
2003年の夏、スズキDR?Z400Sを走らせ、北海道の峠を越えた。一番の目的は「1500峠」の達成。その舞台となったのが天塩川流域の峠だ。
バイク誌『ツーリングGO!GO!』(2003年11月)掲載の記事で、そのときの「峠越え」を紹介しよう。
1500峠を北海道で達成!
と、意気揚々とした気分で北海道に乗り込んだ。
バイクでの峠越えをはじめて28年目、1496峠を越えたところで、記念すべき1500峠目を北海道で達成しようというのだ。
東京からスズキDR?Z400Sを走らせ、東北道の一気走りで青森へ。フェリーで函館に渡ると、R5→道央道→道東道で夕張ICへ。そこからR274→R38で出発点の帯広駅前に立った。
感慨無量。
「峠越え」をはじめた日が鮮やかによみがえってくる。
それは忘れもしない1975年3月28日のこと。埼玉県の「奥武蔵の峠」を越えようと、西武池袋線の飯能駅前を走りだし、R299で高麗峠、正丸峠と越えた。
「これから日本中の峠を越えてやる!」という大いなる期待感と、「ほんとうにできるんだろうか…」という不安感の入り交じったもので、結婚直後ということもあって当時27歳のカソリ、気持ちは揺れに揺れていた。
DR?Z400Sのアクセルをひとひねりし、早朝の帯広駅前をスタートし、第1番目の三国峠に向かった。十勝川を渡り、広大な十勝の平原を見ながら走っていると、この日を迎えられた喜びで胸がいっぱいになってくる。それとともに大声で感謝したい気分。
「よかった、ずっと峠越えをつづけてこれて。途中であきらめないで…」
今回の北海道の「峠越え」では1500峠を達成するだけでなく、峠を越えながら峠をおおいに考えてみようとも思った。
「カソリの峠考」だ。
さて、第1番目の三国峠だが、「三国峠」という峠名は日本各地にある。そのほとんどが3国の国境にそびえる三国山とセットになっている。北海道の三国山も十勝・石狩・北見3国の国境の山。ところが山は3国の国境でも峠は山頂を越える訳ではないので2国の国境になる。北海道のR273の三国峠の場合はR38の狩勝峠同様、十勝と石狩の国境の峠ということになる。
峠名を見ていくと、その峠がどのような峠なのかがわかってくるというもの。
糠平温泉を過ぎると、一気に山中に入っていく。かつての鉄道の終点、十勝三股駅の周辺には白や紫、赤紫のルピナスの花が咲いていた。たまらなくいい匂いがする。
十勝三股を過ぎると、高度を上げていく。DR?Z400Sでの気分の良い峠越え。
高度を上げるごとに北海道の中央部、大雪山系の石狩山地の眺望がよくなってくる。
「三国峠」の碑の立つ展望台からの風景を目に焼き付け、峠のトンネルを抜け、石狩側へと下っていった。ここは石狩川の源流地帯だ。
三国峠を下り、R39に合流すると、今度は石北峠に向かって登っていく。石狩・北見国境の石北峠の峠上には食堂やみやげもの屋が並んでいる。峠にたどり着けば、ひと休みしたくなるのが我々日本人の昔も今も変わらぬ習性。「石北ラーメン」の店に入り、峠のラーメンをすすった。
石北峠で折り返し、峠を下った上川からはR333で北見峠を越えた。
峠に立って「あっ!」と声が出た。すっかり変わってしまったからだ。峠の茶屋は閉鎖されていた。
この峠には1999年の「日本一周」のときに越えた。台風の暴風雨をついて遠軽から峠を登り、やっとの思いで峠に着くと、峠の茶屋に飛び込んだ。そこで食べた「月見うどん」に生き返るような思いがした。
そんな北見峠だが、新道の旭川紋別自動車道の「浮島IC?白滝IC」間が開通し、全長4098mの北海道最長の北大雪トンネルが北見峠の真下をブチ抜いた。このトンネルの完成によって北見峠を越える交通量は激減し、峠の茶屋は閉鎖に追い込まれてしまった。
旭川紋別自動車道の北大雪トンネルを走ったあと、浮島ICからR273で浮島峠に向かっていく。
ここまでの三国峠から石北峠、北見峠までの3峠は何度か越えているが、浮島峠はぼくにとっての「初峠」なので気分も浮き浮きしてくる。この峠の数が増えるときの浮き浮き感というのは、わかってもらえるだろうか。
R273の新道の浮島トンネルを抜けて石狩側から北見側に入ったとき、「1497峠目」のカウントをした。1500峠が一歩、近づいた。そのあと旧道でも峠を越え、滝上を通って紋別に下った。
紋別で泊まり、翌朝、出発。オホーツク海は霧に覆われ、水平線も定かではなかった。R273で滝上まで戻ると、道道61号で上紋峠へ。北見側はずっと濃霧だ。
峠道を登り、北見と天塩の境の上紋峠に到達。ここから天塩川の世界に入っていく。
上紋峠まで来ると、天気が劇的に変わった。峠の上空を激しい勢いで雲が流れ、雲の切れ目からは青空が顔をのぞかせている。さらに驚かされたのは、峠を越え天塩側を下っていくと、カーッと夏の強い日差しが射しこめてきたことだ。抜けるような青空が広がっていた。
天塩川の岩尾内湖に下り、道道101号で於鬼頭峠に向かったが、その途中では天塩川の源流に沿って走り、天塩岳(1558m)の登山口まで行った。この天塩岳が天塩川の源になる。
道道101号に戻ると、すぐに於鬼頭峠の登りがはじまり、一気に登っていく。
峠のトンネルを抜けて石狩側に入ったとたんに上空には真っ黒な雨雲が広がり、峠を下っていくとザーッと雨が降ってきた。
上紋峠、於鬼頭峠。2つの峠を境にして北見は濃霧、天塩は晴天、石狩は雨天。何とも鮮やかな天気の変化だった。
於鬼頭峠から上川盆地の中心地、旭川に下ると、「旭川ラーメン本店」で「特製旭川ラーメン」を食べた。縮れ細麺。味噌風味のさっぱりした汁にはかすかな甘味がある。もやしたっぷり。その上には特大チャーシュが5枚ものっていた。
旭川ラーメンに満足したところで、R40で石狩国と天塩国の国境の峠、塩狩峠に向かった。ゆるやかな峠の登り。峠上にはJR宗谷本線の塩狩駅がある。ここでは稚内行きの急行「サロベツ」とすれ違った。ただそれだけのことだが、胸がキューンとしてしまう。
塩狩峠を越えると天塩川の世界。峠を下った士別から再度、上紋峠を越えて滝上まで戻り、滝上で泊まった。
翌日の「北海道の峠越え」の第3日目でいよいよ1500峠を目指す。
滝上を出発すると、道道137号で滝上町と西興部村境の札久留峠を越えた。この札久留峠が1498峠目になる。
西興部村に入ると、次に同じ道道137号で瀬戸牛峠を越えた。瀬戸牛峠が1499峠目。ついに1500峠に王手をかけた。1500峠目を目指して気持ちがはやる。
それ行け~!
R239で北見・天塩国境の天北峠に向かう。峠下で「行者の滝」の看板を目にすると寄り道し、滝に打たれた。夏とはいえ、身を切られるような冷たさ。思わず「ヒェー!」と叫び声を上げる。1500峠を目前にし、滝に打たれて身を清め、天北峠を越た。天北峠を越えると、天塩川の世界になる。この天北峠も何度か越えているのでカウントしない。
次に下川から道道60号で幌内越峠を越える。この峠も越えたことがあるのでカウントしない。幌内越峠を下ると、道道49号とのT字の分岐。この道道49号で越える松山峠が1500峠目になるのだ。
2003年8月12日午前11時15分、DR?Z400Sともども松山峠に立った。
1500峠達成の瞬間だ。
「オレはやったゼ!」という気分で、クマでも出てきそうな峠で思いっきり大声で叫んでやった。
「万歳!!」。
今回の「北海道の峠越え」には編集部の「ヒラシー」こと平島格さんが全コースを同行してくれたが、「松山峠」の道標の下でガッチリ握手をかわした。ヒラシーも我がことのように1500峠達成を喜んでくれた。
松山峠を下った仁宇布からは松尾峠まで行き、そこから美深へ。美深からはR40を北上。咲来峠に寄ったあと、音威子府でR275に入り、2つ目の天北峠に向かう。本州の峠道とは違って直線区間が長い。峠に近づいたところで、かつての峠を越えた鉄路、天北線の廃線跡を見た。
最後のカーブも速度を落とさずに曲がり、ゆるやかな天北峠に到達。ちょうど夕日が道北の山々に落ちていくところだった。すばらしい夕焼け。真っ赤に染まった夕空は刻々と色を変え、正面に見えるペンケ山、パンケ山をも染め、そして夕日はパンケ山に落ちていった。天北峠を越えたところで、天塩川の世界に別れをつげた。
天北峠からさらに宗谷岬へと日本の中央分水嶺はつづくが、この峠より北には、もう名前のついた峠はない。天北峠が名前のついている峠としては日本最北になる。
天北峠下の中頓別のピンネシリ温泉の湯に入り、かつての天北線中頓別駅前の旅館に泊まり、翌早朝、日本最北端の宗谷岬に立った。
天塩川流域の峠
-
上紋峠(じょうもんとうげ)標高800m
北見山地の最高峰、天塩岳(1558m)北側の天塩・北見国境の峠。天塩側の上川郡と北見側の紋別郡の郡境でもあるので、2つの郡名をとっての上紋峠である。今の時代だと郡は有名無実だが、かつての日本では郡はもっと重要で、大きな意味を持っていた。で、日本各地の郡境の峠には、上紋峠のような郡名にちなんだ峠名が多く見られる。 -
於鬼頭峠(おきとうとうげ)標高610m
1999年の「日本一周」で越えたときは薄暗い、幅の狭いトンネルだったが、それが明るい照明の幅広のトンネルになっていた。北海道の峠道は急速によくなっている。峠を境に川が大きく変わる。天塩側では天塩川の最上流部の流れを見る。石狩側では上川盆地を流れる大河の風格十分の石狩川を見る。 -
塩狩峠(しおかりとうげ)標高249m
峠上には塩狩温泉。「峠のカソリ」は「温泉のカソリ」でもあるので、このような峠上の温泉というのはうれしくなってしまう。温泉ホテルと温泉を利用できるユースホステルがある。峠上の温泉というのはきわめてまれで、ほかには東北の巣郷峠上の巣郷温泉や栗駒峠上の須川温泉などがある程度。三浦綾子の名作『塩狩峠』の舞台でもある。 -
天北峠(てんぽくとうげ)標高293m
天塩・北見国境の天北峠は2つあるが、この天北峠はそのうちのR239で越える峠。峠の周辺にはエゾマツやトドマツなどの針葉樹の森林地帯が広がっている。ストレート区間の長い峠道。 -
幌内越峠(ほろうちごえとうげ)標高340m
峠上ではピヤシリ林道が分岐する。カソリのおすすめ林道。ピヤシリ山の山頂近くを通り、名寄に下っていく21キロのロングダート。ピヤシリ山の山頂からの眺めは素晴らしい。途中に「神門の滝」もある。この峠の北側はオホーツク海に流れ出る幌内川だが、南側は天塩川水系のサンル川になる。 -
松山峠(まつやまとうげ)標高420m
道道49号の峠。峠を境にして西側は天塩川の世界。その支流、ニウプ川水系の流れに変る。峠近くには日本最北の高層湿原の松山湿原がある。駐車場から30分ほど歩くと、別世界が広がる。湿地内の木道を歩きながらツツジ沼やハイマツ沼を見る。 -
西尾峠(にしおとうげ)標高385m
松山峠下の仁宇布から道道120号で越える峠。ゆるやかな峠で天塩・北見国境になっている。峠名は元北海道議会議長の西尾六七氏からきているとのこと。思わず群馬県の坤六峠を連想。この峠も元群馬県知事の神田坤六氏の名前からきている。 -
咲来峠(さっくるとうげ)標高236m
咲来峠への出発点は宗谷本線の咲来駅。無人駅だ。すぐ近くを天塩川が流れている。駅周辺の咲来の集落を走り抜け、R40を横切り、道道220号で牧草地の中を走り抜け、一気に峠へ。天塩・北見国境の峠からは歌登へと、今度は長い峠道を下っていく。「咲来」はアイヌ語の「サクル(夏路)」からきている。道北の厳しい気候を感じるし、それに「咲来」という漢字を当てた感性のよさに感心する。 -
天北峠(てんぽくとうげ)標高190m
R275で越える峠。その名の通り、天塩と北見の国境の峠。峠の南側が天塩川の世界になる。名前のついている峠としては日本最北。ここからさらに宗谷岬へと日本列島の中央分水嶺はつづくが、その間にはいくつかの名無し峠がある。