カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第27回 越裏門奥南川林道

投稿日:2011年1月18日

2010年 林道日本一周・西日本編

かつての険路も今は昔、難所の峠もトンネルが貫く

 吉野川源流の寺川から県道40号で越裏門(えりもん)へ。吉野川最上流部の流れを見ながらスズキDR-Z400Sを走らせる。
 越裏門は前回紹介した宮本常一先生の「土佐寺川夜話」にも出てきた地名だが、もう1箇所、登場する。それがじつに印象深い話なので紹介しよう。

 この土地(寺川)では長い間、牛の通る道がなかったのです。村の人たちには牛という動物を見ないで死ぬるものが何人もあったのです。この地に牛が来たのは明治三十五年と覚えています。越裏門までは尻をたたいて追うて来たが、それからさきは足をくくって棒に通して吊るしてみんなでかついで来た。川の上の道をあるくときはイノチガケであったと申します。牛を見た老婆が「この馬は角がある」と言ったので、「いやこれは牛というものだ」と教えると「牛にしても角がある」と言ったという話が残っています。
『忘れられた日本人』岩波文庫版

 このような寺川の長老の話には思わず引き込まれてしまうが、聞き上手な宮本先生ならではの「土佐寺川夜話」なのである。
 それでひとつわかることは長沢から越裏門までは牛の通る、通れるような道があったということだ。その先、寺川までの細道がいかに険しいものであったかが推測できる。
 それともうひとつ、そのような険路を牛は無理でも、馬ならば通れたということだ。
 今でこそ国道194号の長沢から越裏門、寺川を通って高知・愛媛県境のよさこい峠まで、舗装路の県道40号が通っているが、このような道のなかった時代というのはもう想像するのも難しい。
 越裏門から林道走行が始まる。ここで県道40号を右折し、吉野川にかかる奈辺良橋を渡り、越裏門の小学校前で左折し、東谷伊留谷林道に入っていく。県道から0・3キロ地点でダートに突入。新緑がまぶしい林道を突っ走る。
「行くぞ、DRよ!」
 ダートに突入してから7・0キロ地点の分岐は左へ。2本目の伊留谷林道に入っていく。よく整備された路面で走りやすい。山中から林道へと下ってくる木材運搬のまだ新しい木道が目につく。林業王国の一端を垣間見る。伊留谷林道の6・2キロのダートを走ると大森ダムに出る。吉野川の支流、大森川をせき止めた大森ダムだが、この周辺には何本もの林道がからみあうようにして走っている。我らオフロード派にはたまらない一帯だ。
 大森ダムから1・1キロの舗装路を走るとT字にぶつかり、そこを左折する。
 最後は奥南川林道を走る。ストレート区間もある走りやすい林道だ。9・7キロのダートを走りきると、国道194号の大森峠の北側に出る。3本の林道のダート距離は22・9キロ。これら3本を合わせて越裏門奥南川林道ともいっているが、ダート距離が20キロを超えるうれしいロングダートだ。
 こうして吉野川源流地帯の林道を走り終えると、国道194号で旧本川村(現いの町)の中心、長沢に戻った。廃業したガソリンスタンドの隣りの「うの花」で昼食。「山菜雑炊」(650円)を食べた。
 長沢から国道194号を南下。さきほどの大森峠の新大森トンネルを抜け、旧吾北村(現いの町)に入っていく。それとともに吉野川の水系から四国第3の大河、仁淀川の水系に入っていく。
 今朝方給油したガソリンスタンドの前を通り、国道439号に合流。ここからは「与作国道」で知られる四国横断国道の国道439号を行く。国道194号との分岐点までくると、橋を渡った対岸にある「吾北むささび温泉」(入浴料600円)に入る。ここは2004年にオープンした新しい温泉。含鉄泉の湯は赤土を溶かしたような色をしている。
 かつては狭路の代名詞だった国道439号も、今では2車線の山岳ハイウエーといったところで、改良された区間が延びている。難所だった大峠も新大峠トンネルでズバーッと抜けていく。
 国道33号との重複区間を過ぎると、矢筈峠に向かって登っていく。峠のトンネル、矢筈トンネルの入口でDRを停める。この矢筈峠が仁淀川と四万十川を分けている。
 ここからは四万十川流域の林道だ!

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フォトアルバム

寺川から県道40号で越裏門へ
越裏門の奈辺良橋


越裏門の道標
越裏門を流れる吉野川


東谷伊留谷林道
伊留谷林道


木材運搬の木道
奥南川林道


長沢の「うの花」で昼食
山菜雑炊


吾北むささび温泉
国道439号沿いの風景




国道439号の矢筈峠

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