第46回 人吉探訪
投稿日:2011年2月11日
2010年 林道日本一周・西日本編
温泉の宝庫、九州では希少な国宝の建築物が残る城下町
錦町からは人吉盆地の中心地、人吉の町に入っていく。
JR肥薩線の人吉駅前でスズキDR-Z400Sを止めると、町の案内図を眺め、「人吉探訪」を開始する。
駅前通りを南へ。球磨川を渡り、禅宗の永国寺を参拝。ここは西南戦争のときには西郷隆盛率いる薩軍(薩摩軍)の本陣になった。
熊本近郊の田原坂で政府軍に敗れた薩軍は八代から球磨川沿いに人吉に逃げ、この地に33日間たてこもり、政府軍と戦った。だがついに守りきれず、加久藤峠を越えて加久藤(えびの市)から小林へと逃げていった。
政府軍との戦いで本陣となった永国寺はすべて焼き払われたが、不思議なことに幽霊を描いた掛軸だけが残ったということで、人吉では「幽霊寺」といわれている。
永国寺近くの「堤温泉」(入浴料200円)の湯に入る。
人吉はあまり知られていないが、大変な温泉天国。市内には全部で80近い源泉があり、30近い温泉銭湯がある。堤温泉はそのひとつ。ここは大正10年にできたとのことで、浴室も浴槽も時代を感じさせるもの。湯は無色透明無味無臭。
人吉市内の温泉は総称して人吉温泉といわれているが、以前、ここの温泉銭湯めぐりをしたことがある。人吉駅前の青柳温泉から始め、川端温泉、朝日温泉、人吉温泉、中央温泉、鶯温泉、新温泉の7湯をめぐった。また今度、ぜひとも人吉温泉の温泉銭湯めぐりをしよう!
「堤温泉」の湯から上がると、大手門から人吉城跡に入っていく。城の建物は残っていないが、苔むした石垣が残っている。
人吉は鎌倉初期から明治まで、35代つづいた相良氏の城下町。相良氏は遠州・相良の出身だ。一時期、九州の広範な地域を支配する戦国大名になったが、豊臣秀吉の九州征服以降は球磨川流域の球磨郡を支配する人吉藩2万2000石の藩主となり、明治を迎えた。人吉城跡は桜と紅葉の名所になっている。
最後に青井阿蘇神社を参拝。ここの桃山風の建築様式を伝える楼門や社殿は国宝に指定されている。豊前の一の宮、宇佐神宮の本殿や大浦の天主堂などと並ぶ九州では数少ない建造物の国宝だ。熊本県では唯一、ここだけだ。
「人吉探訪」を終えると、駅前食堂で「焼きうどん」と「鯨の刺身」を食べ、球磨川沿いの国道219号で錦町からあさぎり町に向かった。