カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第48回 アクソー林道

投稿日:2011年2月14日

2010年 林道日本一周・西日本編

林道天国だった20年数年前が懐かしく思い出される

 多良木町の多良木からアクソー林道に入っていく。この林道は分岐が多く、支線に入りこんでしまい、行き止まり地点まで行ってしまった。本線に戻ると、熊本・宮崎県境の横谷峠に出た。峠の真上には横谷の集落の民家がある。
 アクソー林道では支線に入りこんでしまったので、ダートの全走行距離は22・5キロになったが、そのうちの支線の往復分を差し引くと、ダート14・9キロになる。
 国道219号は長いトンネルで横谷峠を抜けているが、旧道も健在。アクソー林道のダートを走り抜け、その旧道に出たのだ。
 横谷峠を越えて熊本県から宮崎県に入っていく。
 この横谷峠は九州山地主脈で、中央分水嶺の峠になっている。熊本県側は球磨川の水系で八代で八代海(東シナ海)に流れ出る。宮崎県側は一ツ瀬川の水系で、佐土原で日向灘(太平洋)に流れ出る。横谷峠のすぐ北には、九州山地第2の高峰、市房山(1722m)がそびえている。
 横谷峠を下ると、西米良村の中心、村所(むらしょ)に着く。町中のバスターミナルでスズキDR-Z400Sを停め、自販機のカンコーヒーを飲む。カンコーヒーを飲みながらのしばしの休憩だ。
 かつては「九州の三大秘境」ともいわれた米良(めら)は、東米良村と西米良村に分かれていた。今は東米良村は西都市の一部になっている。
 こうして米良にやってくると、我が相棒の「テラノ高木」こと、高木剛さんと走った九州林道ツーリングがなつかしく思い出されてくるのだった。

 そのときのカソリ&テラノ高木の2人旅を紹介しよう。

『賀曽利隆のオフロー道』学研・1992年刊より

 1989年2月28日、川崎港のシーコムフェリーの埠頭で、テラノ高木と落ち合った。
 テラノ高木はピカピカのカワサキKDX200SRに乗ってやってきた。メーターはまだ200キロそこそこの新車。カソリのマシンといえば「サハラ砂漠縦断」で使った35リッターのビッグタンクのスズキSX200Rだ。
「サハラの狼カソリ」と「テラノ高木」のB型コンビは18時発の「高千穂丸」に乗り込んだ。目指すのは、宮崎県の日向港。21時間の船旅だ。さっそく船内のレストランで「乾杯!」。いやー、ビールがうまい。そのあとたっぷりと時間をかけて夕食を食べた。
 東京湾の夜景を見ながら食べる食事はムード満点。
「船旅っていいよなあ!」
 ロマンに満ちた船旅のせいなのだろう、テラノ高木は少し酔ったような口調でいう。
「○○ちゃんは今ごろ、どうしてるのかなあ…。で、でも、さっき甲板で会った女の子たちもかわいかったなあ…」
 テラノ高木との船旅で楽しいのは、いつも必ず、○○子ちゃんや○○美ちゃん、○○江ちゃん…の話が出ることだ。そんな話を聞いているうちに夜はふけていく。
 翌3月1日の15時、「高千穂丸」は日向港に到着。川崎とは陽気が違う。
 さすがに南九州だけあって、風は暖かく、うっすらと汗が出るほどの日差しだ。
「さー、行くぞ!」
 我々は気合を入れて走り出す。日向から国道10号を南下。同じ日向市内の美々津でバイクを停めた。
 テラノ高木とは「神武東征の道」を追って、一緒に紀伊半島を走ったことがある。
 その「神武東征の道」の出発点がここ、美々津なのだ。後に日本初代の天皇になる神武天皇とその軍団は、日本制覇の野望に燃えて大和へと、船出した。
「船出の地」には立磐神社がまつられ、境内の一角には「神武天皇の腰掛岩」がある。そのようないわれもあって、ここには「日本海軍発祥の地」碑も建っている。
 耳川河口の美々津を出発し、いよいよ九州山地へと入っていく。
 そのとたんに、急速に気温が下がる。海岸地帯とは季節がまるで違う。冬に逆戻りだ。「寒いゼー。これじゃ、九州のイメージが変わってしまうよ」
 とテラノ高木。
 九州はもっと暖かいと思い込んでやってきたテラノ高木は情けない顔で、「寒いゼー、寒いゼー」を連発する。いやー、ほんとうに寒い!
 美々津からは県道51号→国道327号→国道446号を行く。
 国道446号沿いには漂泊の歌人、若山牧水の生家があった。
 テラノ高木は牧水の歌、「幾山河 越えさりゆけば 寂しさの はてなん国ぞ けふも旅ゆく」を声を出して詠みながら、
「カソリさん、俺たちもさすらいのバイク人になりましょう!」
 と、洒落たことをいう。
 牧水の生家の前には尾鈴山(1405m)を主峰とする高い山並みが連なっている。きっと牧水はあの山の向こうの世界に憧れ、旅に憧れ、胸を躍らせたことだろう。
 国道446号の南郷村の尾迎から待望の米良スーパー林道に入っていく。次々に峠を越えていくロングダートだ。
 米良スーパー林道のダートをテラノ高木と競うように疾走し、茶屋越峠、五郎ヶ越峠と越えて米良に入っていく。
 米良は東米良と西米良に分かれ、東米良は西都市の一部になっているが、西米良は西米良村として一村を成している。
 五郎ヶ越峠の下りでは、痛恨の転倒。
 ブラインドのコーナーで原木を積んだトラックと出会い、衝突を避けるために急ブレーキをかけたが、その瞬間にステーンと転倒した。左手、左膝を強打。自分の体は痛めたが、SXはほとんど無傷だ。
「あー、痛ててて…」
 とカソリ、泣きながら峠を下った。
 その夜は東米良の中心、銀鏡(しろみ)の民宿「しろみ」に泊った。
 このあたりはイノシシ猟の盛んなところで、夕食には猪肉料理のフルコースが出た。
「すげー!」
 とカソリ&テラノ高木は思わず声を上げた。
 民宿の奥さんは炭火の上にのせた網で、猪肉の中でも一番うまいクルマゴ(首まわりの肉)を焼いてくれた。味つけは塩だけ。肉自体がうまいので、ほかには何もいらない。猪肉と一緒に焼いてくれた肉厚のナバ(シイタケ)がこれまたうまい。米良はシイタケの一大産地になっている。
 焼酎を飲みながらさんざん猪肉の焼肉を食べたところで、ここからが夕食の本番になる。
 猪肉の入った猪飯と猪の吸い物が出た。それをボリューム満点の猪鍋をつつきながら食べた。そのほか川魚の塩焼きやサトイモの煮物、山菜料理が出た。
 驚かされたのは「カシノミギャー」だ。
 これはアクを抜いたカシの実の粉からつくった豆腐のようなもの。我々の先祖が遠い昔に食べていたものが、米良ではしっかりと今の時代にも残っている。
「食の文化財」といってもいいような「カシノミギャー」をよ〜く味わっていただいた。
 東米良の銀鏡からは米良スーパー林道の日平峠を越え、西米良に入っていく。
 日平峠ではバイクを停めた。
 ウグイスの鳴き声が聞こえてくる。まわりの山々からは植林を伐採するチェーンソーの音が聞こえてくる。銀鏡川のせせらぎが山肌を這い登って聞こえてくる。
 峠の藪のガサガサッという音に、
「イノシシが出た!」
 と脅かしあったが、それはヤマドリの飛び立つ音だった。
 日平峠を越えて西米良に入り、もうひとつの峠、井戸内峠を越えて西米良村の中心、村所(むらしょ)へ。
 村所からはダートの国道265号で尾股峠、輝嶺峠、軍谷峠を越え、小林盆地の小林へと下っていった。(後略)

 西米良村の村所に着いたときは、このように「テラノ高木」こと、高木剛さんとの九州林道ツーリングがなつかしく思い出された。
 だが「川崎→日向」のフェリーは今はない。あのときの胸を躍らせて走ったロングダートの米良スーパー林道も、今は全線が舗装化されている。ダート国道だった国道265号にも、ダート区間はまったく残っていない。
 それが20余年の変化…。時の流れに悲しさを感じてしまうカソリだった。

フォトアルバム

アクソー林道のダートに突入!
アクソー林道からの眺め


人吉盆地を見下ろす
アクソー林道支線の行止まり地点


アクソー林道の本線に戻ってきた
横谷峠




西米良村の村所を流れる一ツ瀬川

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