カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第90回 五枚沢・葡萄林道

投稿日:2011年4月11日

2010年 林道日本一周・東日本編

上杉氏30万石の城下町、米沢へ

 津尻温泉「滝の湯」の朝湯に入る。若干のにごり湯。湯につかりながら目の前の夫婦滝を眺める。湯から上がると朝食。さすが会津、ご飯がうまい。おかずは塩ジャケ、納豆、生卵、のりのほかに、自家製の漬物がついている。ナスとキューリの浅漬は家庭の味。それと庭でとれたばかりのトマトは鮮度抜群だ。
 津尻温泉を出発。宿の奥さんとワンちゃんの見送りを受け、スズキDR-Z400Sのスイッチオン。エンジンをかけて走り出す。
「また、来まよ!」
 このような定宿といっていいような温泉宿が何軒かあると、ツーリングもとっても楽しいものになる。
 津尻温泉から山都、喜多方を通り、第1本目の五枚沢林道へ。
 最奥の集落、五枚沢を過ぎるとダートに突入。狭路の林道。福島・山形県境の赤崩峠に向かって上っていく。
 赤崩山(1070m)の山頂直下の赤崩峠はその名の通り、赤い山肌。これもその名の通りで、崩れやすい。大きな崩落があるたびに通行止めになるが、今回はまったくトラブルなしに峠まで走れた。県境までは8・0キロのダートだ。
 山形県内に入ると平坦な谷地(湿地)を貫く赤崩林道になり、0・7キロのダートを走ると葡萄林道とのT字路にぶつかる。そこから右は広河原に通じているが通行止め。そこで左方向へ。4・6キロのダートを走ると大規模林道の舗装路に出る。
 五枚沢・葡萄林道のダートは13・3キロ。今日も第1本目からロングダートだ。これだから東北の林道走行はたまらない!
 飯豊山の登山口を過ぎ、岳谷の集落を過ぎた高造路から高造路・上和合林道に入っていく。この林道は4パートに分かれている。
 第1区間は全線ダートで5・0キロのダートを走り切ると舗装路にぶつかる。その舗装路を横切り、第2区間に入っていく。第2区間も全線がダートで、6・5キロのダートを走り切ると舗装路にぶつかる。この道を右に行けば広河原に行ける。ここまで11・5キロのダートだ。
 舗装路に出たところで広河原方向とは反対方向の左に1キロほど走ると第3区間の入口。第3区間も全線ダート。3・8キロのダートを走ると、舗装路に出る。そこを横切り、第4区間に入っていくのだが、「御屋形様」がまつられている権平峠(560m)までは舗装路。峠を越えるとダートになる。2・0キロのダートを走ると舗装路になり、県道4号の上和合に出る。
 高造路・上和合林道のダートは4区間合わせると17・3キロになる。2本連続のロングダートだ。
 県道4号→国道121号で米沢へ。2本連続のロングダートを走ったので、意気揚々とした気分でDRを走らせ、米沢の中心街に乗り込んでいった。
 米沢は上杉氏30万石の城下町。米沢城跡の松が岬(まつがさき)公園へ。現在は土塁と堀が残るだけ。上杉謙信をまつる上杉神社に参拝し、藩祖謙信と藩中興の祖、鷹山の銅像を見る。
 それにしても上杉の流転の歴史には心をひかれる。
 上杉謙信といえばすぐに武田信玄を思い浮かべるが、信州の川中島の合戦で死闘をくりひろげた両雄は結局、決着がつかず、天下をとれないまま信長→秀吉→家康の時代になってしまった。
 武田氏は天目山できれいさっぱりと、まるで桜の花が散るように滅亡したが、上杉氏は春日山(上越市)から会津若松→米沢と移り、滅ぶことなく明治維新を迎えた。
 謙信の銅像の前で、
「よかったね、謙信さん!」
 といってあげた。
 そのとき春日山の謙信の銅像が鮮やかに目に浮かんでくるのだった。

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今回のエリア:昭文社ツーリングマップル東北 23あたり

五枚沢・葡萄林道→高造路・上和合林道→米沢

津尻温泉「滝の湯」の朝湯に入る
「滝の湯」の夫婦滝


「滝の湯」の朝食
五枚沢林道のダートに突入!


赤崩峠に到達!
赤崩峠からの眺め


葡萄林道
高造路・上和合林道に入っていく


林道脇のワラビ園
高造路。上和合林道を行く


権平峠の「御屋形様」
高造路・上和合林道の最後のダート区間


米沢の上杉神社
上杉神社の上杉鷹山像




上杉神社の上杉謙信像

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