カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第108回 雄次郎君

投稿日:2011年5月16日

2010年 林道日本一周・東日本編

大家族の酪農家、田中家を訪問

「はまとんべつ温泉ウイング」の朝湯に入り、朝食を食べ、浜頓別を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、道道84号を行く。交通量極少の2車線の舗装路。朝の気持ちいい空気を切り裂いて走る。
「おー、北海道!」
 浜頓別町から猿払村に入り、上猿払からダートの道道732号でオホーツクの海岸に出ようとしたが、残念ながら工事中で通行止め。そのまま道道84号を行き、猿払村と豊富町の境の峠を越え、豊富温泉へ。
 豊富温泉では「ふれあいセンター」(入浴料500円)の湯に入った。この温泉は大正末期の石油の試掘で、天然ガスとともに噴出したのが始まり。油が浮いたような茶褐色の湯は、ほのかに石油の臭いがする。この油っぽさが豊富温泉の魅力。油分が多いほどよく効くとのことで、湯治にやってくる人も少なくない。
 湯から上がると道道84号を3キロほど戻り、左折し、道道121号に入っていく。そして田中雄次郎君の牧場に寄った。
 突然の訪問で雄次郎君はビックリしたような顔をしたが、仕事の手を休め、家にいた子供たちも呼んでくれる。長女のあおさんは結婚し、出産を間近に控え、里帰りしていた。長男の雄馬さんはすっかりたくましくなっていた。3男の寛大(かんた)君、4男の晴大(はるた)君は元気一杯だ。
 奥さんの典子さんは出かけていたが、田中家にはそのほか次男の真生(さねいき)さん、次女のそらさんがいる。田中家は4男2女の大家族なのだ。
 ぼくが初めて田中雄次郎君に出会ったのは、彼がまだ高校生のころ。一緒にサッカーしたり、マラソンをしたこともある。雄次郎君は大学生のときに、宗谷岬から佐多岬までの「徒歩日本列島縦断」を成しとげた。大学を卒業すると、北の大地での酪農に憧れ、数々の苦難を乗り越え、こうして北海道にしっかりと根を下ろしている。
 すごいぞ、雄次郎君!
 いままでに何度か、「日本一周」や「北海道一周」で立ち寄らせてもらったが、1999年の「日本一周」のときの田中家訪問の様子をお伝えしよう。

田中雄次郎牧場訪問

 天塩から来た道を稚咲内まで戻り、そこからサロベツ原野を横断して豊富へ。ここでは豊富温泉の「ふれあいセンター」の湯に入ったあと、田中雄次郎さんの牧場を訪ねた。
 1989年の「日本一周」のときにも訪ねたが、そのときは音威子府で借りた牧場で酪農をしていた。それが今では自前の牧場で80ヘクタールもの広さ。そこで60頭あまりの乳牛を飼育している。1989年の「日本一周」のときはあおちゃん、雄馬クン、真生クンの3人の子供だったが、そのあとそらちゃん、寛大クンが生まれ、今では5人の子供たちがいる。奥さんの典子さんは5人の子供たちを育てながら雄次郎さんと一緒に酪農をやっている。長女のあおさんは中学3年生。すっかりお姉さんらしくなった。
 田中雄次郎さんは東京農大の出身。在学中には宗谷岬から佐多岬まで徒歩での日本縦断を成しとげたこともある。ぼくが初めて田中雄次郎さんに会ったのは、彼がまだ高校生のころだった。
 その夜は田中雄次郎さん宅で泊めてもらう。典子さんがつくってくれた料理をつまみながら雄次郎さんとビールを飲む。10年ぶりの再会なのでいろいろと話がはずんだ。
 酪農家の朝は早い。5時、起床。冷たい牛乳をキューッと飲み干したところで仕事の開始。田中夫妻のあとについて2人の仕事ぶりを見せてもらう。まずは牧草地にいる牛たちを集めることからはじまる。スキーのスティックを持って牛の後にまわり込み、牛舎の方へと牛を追っていく。牛たちを牛舎に追い込むと、牛に配合飼料を食べさせながら、1度に8頭の搾乳をする。60頭の搾乳が終わると牛舎の掃除。牛糞は堆肥になる。それを1年とか2年寝かせ、黒土のようになったところで牧草地に戻す。牧草には春から夏にかけて刈る1番草と夏から秋にかけて刈る2番草がある。1番草の方がはるかに良い牧草で、草に勢いがあるという。その牧草をロールにして蓄え、長く厳しい冬の間の飼料にする。自家製牧草だけで足りなくなると、牧草を買わなくてはならない。これがかなりの出費になるという。
「牛の頭数を減らすことによって、余裕が出てきましたよ」
 と、雄次郎さんはいっている。頭数が多いと、忙しいだけでなく、牧草や配合飼料をずいぶんと買わなくてはならないからだ。
 朝の仕事を終え、ひと息ついたところで朝食になる。あおさんら、子供たちはすでにスクールバスに乗って中学校や小学校に行った。朝食には田中雄次郎牧場産の牛乳をベースにしたシチューが出た。これがじつにうまいもので、中に入っているジャガイモやニンジンも自家製のもの。
 朝食後、牧場の一番高いところに連れていってもらう。牧草地の向こうには利尻富士が見えた。田中夫妻は新しい家を建築中でその完成が間近だった。あおさんたちも新しい家の完成を心待ちにしていた。
 田中夫妻と別れ、豊富から国道40号を南下。大変な苦労を積み重ねてここまでやってきた田中雄次郎さん一家に「幸多からんことを」と、DJEBELに乗りながら心からから願った。

『日本一周バイク旅4万キロ・下巻』昭文社より)

 1999年の「日本一周」のあと、田中夫妻は見事に新しい家を完成させ、そのあと4男の晴大君が生まれた。その春大君も小学校4年生。
「子供たちがみんな大きくなったら、俺もまた賀曽利さんみたいに世界中を旅してまわりたいですよ!」
 と雄次郎君はいっていた。
 がんばれ雄次郎君、あともうひと息だ。
 みなさんの見送りを受けて田中牧場をあとにしたが、DRに乗りながら、胸に熱いものがこみあげてくるのだった。
 道道121号を北へ。豊富町から稚内市に入る。沼川から道道138号で稚内市と猿払村境のゆるやかな峠を越え、オホーツク海へ。国道238号に出ると、オホーツクの海を右手に見ながら北上する。
 再度、稚内市に入り、日本最北端の宗谷岬に立った。
 宗谷丘陵を走ったあと、宗谷岬から国道238号で稚内へ。
 オホーツク海から日本海へと海が変る。
 稚内に到着。日本最北端駅、JR宗谷本線の稚内駅前でDRを停めた。

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今回のエリア:昭文社ツーリングマップル北海道 56,57,58

浜頓別町→猿払村→豊富町

「はまとんべつ温泉ウイング」の朝食
ウイングを出発


道道84号を行く
道道84号の峠


豊富温泉の共同浴場「ふれあいセンター」
田中牧場を訪問


道道138号の峠
日本最北端の宗谷岬


宗谷岬を見下ろす
日本海の海岸




稚内駅前に到着!

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