カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

5月12日(3)中村→松川浦(相馬市)

投稿日:2011年6月14日

頑張ってるぞ!東北!! ツーリング[鵜ノ子岬→尻屋崎 13]2011年5月12日

 相馬の中心、中村から県道38号で松川浦へ。
 国道6号を横切り、国道6号のバイパスを過ぎると、風景は一変する。国道6号のバイパスという1本の線を境に、大津波による被災地に突入していく。
 今回の大震災では地震による被害はほとんど見られない。そのすべてといっていいほどが大津波による被害だ。それだけに津波の到達したところと、到達しなかったところでは天と地の違い。1本の線によってそれがきれいに分けられている。
 松川浦に入っていくとあまりの惨状に目を覆う。漁船が陸に乗り上げ散乱している。ほとんどの家が流されている。昨年、名物の「あさり御飯」を食べた食堂「旭亭」は跡形もなかった。
 ところが鵜の尾岬を目の前にする一角には家々が残り、営業を再開した旅館や店も見られた。そこでは「岬が守ってくれた」と地元の人はいっていた。
 松川浦大橋で鵜の尾岬に渡ろうとしたが、橋は通行止。松川浦の太平洋岸に延びる砂洲も大津波によって切られ、ここでは地形も変わっている。
 相馬市では500人近い犠牲者が出た。その大半は松川浦とその周辺での被害。このように南相馬市から相馬市にかけての太平洋岸は甚大な被害を受けたが、2つの市を合わせると1200人以上の犠牲者が出ている。

松川浦に到着
漁船が町中に押し寄せている


松川浦のおびただしい数の「乗り上げ船」
JRのバス停は残った


営業を再開した店
営業を再開した旅館


松川浦大橋
松川浦大橋は通行止


鵜の尾岬
大津波で分断された松川浦の砂洲


Comments

Comments are closed.