カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[27]

投稿日:2012年3月10日

北海道最大の鰊番屋を見学する

留萌からは国道232号を行く

 留萌を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ国道232号を北上。この道では一斉に、白バイ、レーダーパトと3度もスピード違反で捕まっているので、慎重にDRを走らせる。
 留萌を出るとじきに「小平10km 羽幌50km 稚内185km」の道標を見る。ついに稚内が視界に入ってきた。
 小平では町並みを抜け出たところにある北海道遺産の「旧花田家番屋」を見学する。
 とてつもない大きさで、ここは現存する鰊番屋としては道内最大。花田家は北海道でも屈指の鰊漁家で、最盛期には18ヵ統のニシンの定置網を持っていた。この鰊番屋では5ヵ統の定置網の漁夫のほかに、船大工とか鍛冶職人、屋根職人など200人もの人たちが生活したという。

小平の「旧花田家番屋」を見学
「旧花田家番屋」の内部


 明治中期に建てられた「花田家鰊番屋」は現在、資料館になっている。

木割りは大きく豪壮であり、空間は雄大。玄関から奥に土間を通し、その北側に親方の住居部分を、南側には漁夫の生活部分をもうけ、漁夫の寝台を中二階に備えて三段とし、その機能と合理性を求め、俗に番屋と呼ぶ鰊漁家特有の平面構成である

 と、鰊番屋を説明している。
 ちなみに面積は1階部分が906平方メートル、2階部分が105平方メートルで、合計すると906平方メートルになる。
 この小平の「旧花田家鰊番屋」につづく現存する鰊番屋というと寿都の佐藤家番屋が741平方メートル、小樽の鰊御殿が638平方メートルで、小平の鰊番屋が群を抜いて大きい。
 展示されている明治から大正にかけての、ニシン漁最盛期の古ぼけた写真がすごい迫力だ。春先のニシン漁の季節になると、小平の海は群れるニシンで盛上がり、海の色は乳色に変ったほどだという。

「三平汁」つきの「焼ニシン定食」

 この地における年代別のニシンの漁獲量を見ると、明治中期から減りはじめ、獲れる年と獲れない年の差が大きくなり、昭和10年代になると激減する。一時、昭和19年前後に盛り返すが、昭和29年を最後にほとんど獲れなくなり、ニシンは幻の魚になってしまった。このあたりの状況は留萌と変らない。
「旧花田家番屋」の見学を終えると隣接するレストランで昼食。
「焼ニシン定食」を食べた。焼ニシンにはたっぷりと脂がのっていた。定食には三平汁がついたが、これにもニシンが入っている。焼ニシンとはまた違った味わいで美味だった。

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