カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[29]

投稿日:2012年3月12日

北海道の名付け親、松浦武四郎の業績を天塩で見る

 羽幌を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、国道232号をさらに北へ。
 羽幌町から初山別村に入る。日本海の海岸一帯はエゾカンゾウの花畑。この季節ならではの見事な眺めだ。
 金比羅岬の初山別温泉「岬の湯」(入浴料500円)に入っていく。大浴場と露天風呂。ともに塩分の濃い湯。露天風呂からの眺めは絶景だ。北へと長く延びる日本海の海岸線を一望する。

日本海の海岸一帯はエゾカンゾウの花畑
初山別温泉の露天風呂から見る日本海の海岸線


 初山別村から天塩町に入り、北海道第2の大河、天塩川河口の町、天塩に到着。天塩漁港に行き、天塩川の河口を眺めた。

天塩に到着
天塩漁港


天塩川の河口


 天塩では町中にある「天塩川歴史資料館」を見学。松浦武四郎の天塩川流域探検史や天塩川とアイヌ人の生活とのかかわりの展示などが興味深い。
 松浦武四郎は幕末の北方探検家。伊勢の人で、6回に及ぶ蝦夷地探検を行った。北海道をくまなくまわった探検家といっていい。
 天塩川河口の天塩から天塩川沿いの名寄盆地まで行ったのは第5回目の蝦夷地探検でのことだった。そのあとの第6回目の蝦夷地探検は250日の大旅行で、箱館(函館)を出発点にし、北海道を一周している。すさまじいばかりに、その生涯の大半を北海道の探検に賭けた。
 松浦武四郎は6回の蝦夷地探検で、全部で114冊もの日誌を書き、それを『三航蝦夷日誌』、『東西蝦夷・北蝦夷山川地理取調紀行』、『近世蝦夷人物誌』などの書物にまとめている。それらが蝦夷地研究、アイヌ文化研究にとっては欠かせない、貴重な研究書になっている。
 蝦夷地を「北海道」と名づけたのも松浦武四郎だ。
 それまでの南海道や西海道、東海道などの“七道”に対しての北海道。明治新政府になってからの明治2年(1869年)、松浦武四郎の建議によって改称された。そのとき内地の旧国にならい、北海道には石狩、後志、渡島、胆振、日高、十勝、釧路、根室、北見、天塩の10ヵ国が置かれた。さらに千島が加わり11ヵ国になった。それら11ヵ国の国名は、天塩、北見、千島を除けば現在の支庁名に残っている。

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