カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[49]

投稿日:2012年4月20日

怒濤のごとく駆けめぐった37日間

「環日本海ツーリング」第1弾目の「東京→稚内」を終えて神奈川県伊勢原市の自宅に帰ってきたのは2011年6月30日。次の第2弾目に出発したのは8月7日。その間、カソリ、日本を世界を怒涛のごとくに駆けめぐった。
 それらを一覧にすると次のようになる。
 1、「女川」(7月1日?7月3日)
 2、「東北一周」(7月4日?7月12日)
 3、「野沢温泉」(7月16日?7月18日)
 4、「浜松」(7月19日)
 5、「アイルランド一周」(7月23日?8月6日)
 まずは「女川」だ。
「環日本海ツーリング」の「東京→稚内」を終えて帰宅したのは6月30日の23時30分。すぐに車に乗り換え、東名→首都高経由で都内へ。そこで我ら「地平線会議」の仲間何人かを乗せ、首都高→東北道→仙台北部道路→三陸道で石巻へ。石巻到着は6時。
 石巻からは国道398号で女川へ。東京から560キロ走り、女川には7時に到着した。その間はいやー、眠かった。「眠眠打破」を飲みながら、猛烈な睡魔と闘った。
 3・11の大津波で壊滅的な被害を受けた女川の中心街からさらに国道398号を走り、尾浦という漁村へ。銀鮭やホヤの養殖が盛んで活気のあった尾浦も集落の大半が大津波にやられた。
 高台にある保福寺という寺を拠点に、我ら「地平線会議」のメンバーは、大津波で全壊した民家の瓦集めをした。震災を記念するモニュメントにしたいという寺の若き住職の想いに賛同したのだ。「地平線会議」のメンバーのみならず、昭文社のK氏らのメンバーも駆けつけてくれた。
 1日の大仕事を終えると、その夜は寺でのバーベキュー。そして夜中までつづいた飲み会。まるで「地平線会議」の合宿のようだった。
 翌朝は6時の本堂でのお勤めからはじまった。全員で般若心経を上げ、朝食を食べると、2日目の作業を開始。昼食をはさんで午後までつづいたが、人海戦術で数千枚の瓦を集めた。
 16時、女川を出発。国道398号で雄勝へ。ここも町が全壊。雄勝から釜谷峠を越えて北上川に出たが、そこには今回の大津波での一番の悲劇といっていい大川小学校がある。道路脇の仮設の祭壇で手を合わせ、残った校舎内を歩いたが、壁に貼られた全生徒たち、先生方の写真には涙を誘われた。
 北上川堤防上の道を走り、国道45号に出、河北ICで三陸道に入った。
 帰路は三陸道→仙台東部道路→仙台南部道路→東北道→首都高というルートで、23時15分には新宿駅前に到着。「地平線会議」の仲間を降ろすと、首都高→東名と走り、伊勢原の我が家に到着したのは24時30分だった。

崎山の展望台から見る女川湾
水びたしになった尾浦漁港


大津波に襲われた尾浦の惨状
大津波は山林の奥深くまで押し寄せた


山林の中に突き刺さった車
壊滅状態の雄勝の町


雄勝の公民館の屋上にのり上げたバス
大川小学校の生徒や先生方に手を合わせる


大川小学校の全生徒・先生方
北上川にかかる国道398号の新北上大橋は通行止


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