カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[128]番外編

投稿日:2012年7月22日

ソウル→北朝鮮2001(1)

1通のFAX

「韓国一周」の翌年、2001年3月22日に50?バイクでの「島めぐり日本一周」に旅立った。「本州東部編」、「北海道編」、「本州西部編」、「四国編」、「九州編」、「沖縄編」と、6分割での「日本一周」だ。
 最初の「本州東部編」を走り終えて帰宅したのは5月27日。その間に自宅に送られた郵便物やFAX、メールの中に、韓国モーターサイクル連盟(KMF)会長の申俊容さんからのFAXがあった。それは何と、朝鮮半島の南北分断後、初となるソウル発の北朝鮮(金剛山)ツーリングにぼくを招待したいという内容のものだった。それを目にしたときは信じられないような思いで、「ウソーッ!」と叫んでしまったほどだ。
「そんなこと、できるわけがない」
 という思いだった。
「韓国一周」での一番感動的なシーンは、韓国最北端の「高城統一展望台」からの眺めだった。そこから朝鮮半島随一の景勝地、「海金剛」を見下ろした。風の強い日で、日本海には無数の白い波頭が立っていた。海に落ち込む山々は白っぽい山肌を剥き出しにし、南北の軍事境界線上には鉄条網の長い線が延々と延びていた。トーチカが点在する丘陵地帯の左手には、朝鮮半島の名峰、金剛山が雲を突き破ってそびえていた。
「高城統一展望台」からの風景を眺めながら、
「いつの日か、北朝鮮に入って、今度は北朝鮮側から海金剛を見てみたい!」
 と熱望した。
 このような「海金剛」への熱い想いがあったので、翌朝、半信半疑でKMFに電話した。すると北朝鮮ツーリングに出発するのは6月2日だとのことで、まだ、間に合うという。すぐにパスポートのコピーをFAXで送り、デジカメでとった自分の顔写真をメールで送った。
「これで必要なもの、すべてが整いましたよ」
 とKMFから折り返し電話が入ったときは、何か、キツネにつままれたような気がした。北朝鮮への入国手続きはすべてKMFがやってくれるという。

ソウルへ…

 5月31日にソウルに飛んだ。完成してまもない仁川国際空港に降り立つと、KMF申会長の美人秘書、ジュリア・キムさんが出迎えにきてくれていた。
「ほんとうにバイクで北朝鮮に行けるのだろうか…」
 と、半ば賭のような気分でソウルにやってきたので、まずはほっとひと安心といったところだ。きれいな英語を話すジュリアは「もうすでに(北朝鮮行きの)すべての用意は整っていますよ」とうれしいことをいってくれた。
 KMFの車でソウル市内へ。
「ホテル・ニューワールド」に部屋が用意されていた。1泊20万ウオン(約2万円)の部屋。自分1人の旅だったら、まずは泊まれないような高級ホテルだ。部屋に荷物を入れ、ひと息ついたところで、ジュリアは「日式専門店」に連れていってくれた。そこではすしや刺し身、てんぷら、豆腐といった日本料理の夕食を腹いっぱいに食べた。美人で聡明なジュリアと一緒なので胸がときめいた。
 翌日は朝食後、ジュリアが迎えにきてくれた。
「BMWコリア」の本社へ。
 そこでドイツ人社長のフリンガーさんに会った。今回の北朝鮮ツーリングはBMWが全面的にバックアプしているとのこと。「BMWコリア」は1150?のR1150RTの新車をぼくのために用意してくれていた。それに乗って「ホテル・ニューワールド」に戻ったが、北朝鮮が一気に近づいたような気がした。
 その夜は中華料理店での夕食会。KMF会長の申俊容さん、FIM(国際モーターサイクル連盟)のウィルソンさん、BMWコリアのフリンガーさん、それとカソリが一同に会した。ウイルソンさんはイギリス人。日、韓、英、独と国際色豊かな顔ぶれがそろった。
 北朝鮮ツーリングにはそのうちカソリ、ウィルソンさん、フリンガーさんの3人がバイクで行き、申さんは車での同行になる。
「ソウルからバイクで北朝鮮に行くのは、(朝鮮半島が南北に分断された以降)初めてのことになります」
 と申さんは強調したが、南北融和の進展を強く感じさせるソウル発の北朝鮮ツーリングだ。
 申さんは韓国ではよく知られたレーシングドライバー。韓国と北朝鮮の双方に太いパイプを持っているので、今回のソウル発の「北朝鮮ツーリング」が実現したという。
 申さんは世界中から300台以上のバイクを集めての北朝鮮ツーリングを計画していた。今回はそのプレラン(事前走行)。日本人ライダーにも大勢来てもらいたいとのことで、それでぼくを招待したようだ。

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