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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[15]

投稿日:2012年12月5日

造船日本、夜明けの地

静岡←神奈川←東京

 西伊豆の土肥から海沿いの県道17号を走り戸田へ。
 戸田の「小浜食堂」で昼食。「あじのたたき定食」(1365円)を食べたあと、御浜岬の突端まで行ってみる。
 戸田港は達磨火山の河口湖。そういわれてみると「うーん、なるほど!」という地形をしている。南側に長く突き出た岬が御浜岬。諸口神社があるので「御浜」なのだ。
 ここはスカシユリの群生地。6月には5万本ものスカシユリの花が咲き、岬はオレンジ色一色に染まる。ハマユウの群生地もある。7月から8月にかけては3万株のハマユウが白い花を咲かせる。イソブキの群生地もある。秋には3万株のイソブキが黄色い花を咲かせる。さらに岬の突端にはイヌマキが群生している。古木は樹齢数百年。全長750メートルの砂嘴(さし)の御浜岬には豊かな自然が残されている。
 西伊豆の小港に過ぎない戸田は「造船日本」の夜明けの地。そのことが御浜岬の突端にある「造船郷土資料博物館」(入館料300円)を見学してみるとよくわかる。
 安政元年(1845年)、ロシアの使節、プチャーチン提督以下500名を乗せたロシアの軍艦「ディアナ号」(2000トン)は下田港に碇泊中、11月4日に起きた安政の大地震で大きな被害を受けた。「ディアナ号」は戸田港で修理することになり、回航中に沈没。ロシアに帰れなくなったプチャーチン提督は幕府に代船の建造を願い出た。
 その願いがかない、戸田で1艘の西洋型帆船がつくられた。それが「ヘダ号」。このとき船造りにかかわった戸田の船大工7人と配下の大工たちは、日本の近代造船界の祖となっていく。「ヘダ号」型の船はその後、戸田で6隻、東京の石川島で4隻、つくられ、戸田はまさに「造船日本」の夜明けの地になった。
「造船郷土博物館」には「深海生物館」が併設されている。そこでは体長3mの高足ガニや数々の深海魚が見られる。戸田港は深海魚の水揚げされる漁港として知られ、とくに世界最大のカニ、高足ガニが有名だ。戸田では「深海魚料理」が食べられる。
 御浜岬を出発。戸田の町並みを走り抜け、戸田港対岸の出逢い岬でアドレスV125Gを止めた。展望台からは正面に御浜岬を見下ろし、左手に戸田の町並みと戸田港を一望する。出逢い岬は絶景岬だ。
 さらに海沿いの県道17号を走り、伊豆半島岬めぐりの最後の地、大瀬崎へ。
 大瀬崎は駿河湾の西浦海岸西端の岬。御浜岬と同じような砂嘴の岬だ。海越しに富士山を眺める。ここではアドレスを駐車場に止めて歩いた。岬の先端には大瀬神社。1500年もの歴史を誇る神社の境内には伊豆七不思議のひとつの神池がある。海のすぐそばなのに淡水なのだ。神秘的な池には3万匹以上の淡水魚がいるという。岬の先端は柏槇(ビャクシン)の樹林で覆われ、樹齢1000年以上の大木が何本もある。
 大瀬崎から西浦海岸沿いの県道17号を走り、国道414号に合流。沼津駅前に出た。

戸田の「小浜食堂」で昼食
御浜岬突端の松林


出逢い岬に到着
出逢い岬から見る御浜岬


出逢い岬からは戸田の町並みと港を一望
伊豆半島岬めぐりの最後は大瀬崎。岬の向こうには愛鷹山が見える


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