アドレス日本巡礼[003]
投稿日:2014年3月9日
芭蕉も詠んだとろろ汁
4月2日5時45分、竹倉温泉を出発。三島宿から沼津宿へ。その間では伊豆・駿河国境の境川を越えるが、よっぽど気をつけていないと通り過ぎてしまうような小さな川だ。
JR沼津駅前からは旧東海道を行く。原宿、吉原宿と通り、富士川を渡る。富士川の畔から見る富士山は東海道一といっていい。
富士川を渡ると、蒲原宿、由比宿と昔の面影を残す宿場がつづく。
宿場町の風情が色濃く漂う蒲原宿には本陣が残っている。土蔵造りの家や黒塀の家も数多くみられる。
由比宿の宿場中央の本陣跡は「由比本陣公園」として整備され、表門や物見櫓が復元されている。公園内には「東海道広重美術館」があり、安藤広重の「東海道五十三次」を見ることができる。
由比宿からは狭路の峠道を登り、絶景峠のさった峠に到達。足下を東名が通り、光り輝く駿河湾の対岸には伊豆半島の山々が連なっている。愛鷹山や富士山も見える。
さった峠を下ると興津宿。ここでは奈良時代に創建された古刹、清見寺を参拝。徳川家康ゆかりの寺で、少年時代、今川義元の人質として駿府(静岡)にいた頃、しばしば訪れた寺だ。
次の江尻宿は清水駅周辺で本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠50軒という駿河では府中宿に次ぐ大きな宿場だったが、今では地名に「江尻」が残るだけ。宿場町の面影はまったくない。
清水から国道1号で府中宿に入っていく。現在の静岡だ。
静岡の中心、駿府城跡から安倍川に向かっていく道が旧東海道になる。安藤広重の「東海道五十三次」の駿府では、安倍川河畔の「名物安倍川餅」の看板を掲げた茶屋が描かれている。「橋本屋」で名物「安倍川餅」を食べた。1皿400円。黄粉と餡この餅が4個づつのっている。そのうち白砂糖をまぶした黄粉餅がもともとの安倍川餅。搗きたてのうまい餅だ。
安倍川橋で安倍川を渡り、そのまま旧東海道を行くと丸子宿に入る。
丸子で「まりこ」。古くは鞠子と書いた。
丸子宿の家並みを抜け出たあたりの丸子川沿いに、「とろろ汁」を名物にしている「丁字屋」がある。創業は慶長元年(1596年)というから、今から400年以上も前のことになる。昔ながらの茅葺き屋根の茶屋だ。
「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」
と芭蕉の句に詠まれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』にも出てくる「丸子のとろろ汁」は、安倍川餅同様、東海道中では欠かせない名物。安藤広重の「東海道五十三次」でも、丸子宿では「名物とろろ汁」の看板を掲げた「丁字屋」が描かれている。
「丁子屋」の「とろろ汁」は今でも人気で、平日の昼前に入ったのにもかかわらず、店内は混んでいた。さっそく「丸子定食」(1380円)を頼むと、すぐさま名物のとろろ汁が運ばれてきた。このスピード感が命。お櫃に入った米7分麦3分という麦飯を茶碗によそい、その上に自然薯をすりおろし、だし汁でのばしたとろろ汁をかけ、薬味の刻みネギをふりかけて食べる。麦とろはいくらでも食べられる。スルスルッとのどを通り、腹にはいっていく。
丸子宿の次は岡部宿だが、その間には箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ東海道の難所の宇津谷峠がひかえている。旅人たちは丸子宿でとろろ汁をかけこむようにして食べ、パワーをつけて宇津谷峠に立ち向かっていった。反対に岡部宿から宇津谷峠を越えて丸子宿に下りてきた旅人たちは、とろろ汁で元気を取り戻した。とろろ汁の自然薯も、元々は宇津谷峠周辺の山中でとれる天然のものだった。
丸子のとろろ汁に大満足したところで、宇津谷峠に向かっていく。ここはまさに峠のトンネルの展覧会場。明治、大正、昭和、平成と時代ごとの峠のトンネルが見られる。明治9年に完成した明治トンネルは日本最初の有料トンネル。大正トンネルは旧国道1号のトンネル。昭和トンネルは現国道1号の上り車線、一番新しい平成トンネルは下り車線。江戸時代の旧東海道もこの峠を越え、さらに時代をさかのぼった平安時代の官道の「蔦の細道」も残っている。
宇津谷峠を越え、岡部宿、藤枝宿、島田宿と通り、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の大井川に出た。川越場(越場)には川役人が業務を行った「川会所」が残されている。ここで川越の料金を決めたり、川札を売った。橋のない大井川を渡るには、川越人足の肩車で川渡りする方法と蓮台に乗る方法があったが「肩車越し」の方がはるかに安いので一般的だった。川会所には種類の異なる蓮台が展示されている。
大井川を渡り、対岸の金谷へ。同じ静岡県でも駿河から遠江に入った。
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