アドレス日本巡礼[012]
投稿日:2014年3月29日
京の七口
京都の峠越えはまだまだつづく。山陰道の国道9号で老ノ坂峠へ。桂川を渡り、桂離宮の近くを通り、老ノ坂峠のトンネル入口に到達。さらに峠のトンネルを抜け、亀岡まで下り、来た道を京都の中心街まで戻った。
老ノ坂峠といえば、天正10年(1582年)、亀岡城を発った明智光秀の軍勢が備中に向かうと見せかけ、老ノ坂峠を越え、本能寺の織田信長を討ったことで有名だ。この老ノ坂峠を越える道が「京の七口」の丹波口になる。国道9号はJR山陰本線のガードをくぐり抜けていくが、そこにある駅は丹波口駅だ。
次に奈良坂。伏見稲荷、観月橋、木津と通り、国道24号で京都・奈良府県境の奈良坂へ。そこで折り返し、京都の中心街まで戻った。奈良坂を越える道が「京の七口」の伏見口になる。これで「京の七口」のうち、六口までを通ったことになる。
東海道、中山道の大津宿から逢坂山峠を越え、山科から日ノ岡峠を越えて三条大橋に通じる道が粟田口。京見峠を越え、周山から小浜に通じる道が鷹ヶ峰口。鞍馬から花背峠を越え、花背に通じる道が鞍馬口。大原から途中峠を越え、琵琶湖畔から敦賀に通じる道が大原口になる。
最後は鳥羽口を行く。国道1号で東寺へ。東寺の五重塔を見る。ここには昔、都の正門の羅生門があった。北端の朱雀門に相対する堂々とした大門で、羅生門の東側には東寺が、西側には西寺が建てられた。現在、残っているのは東寺のみ。羅生門跡は小公園に石碑が立っているだけだ。西寺跡は児童公園になっている。そこの草に覆われた盛土の上には礎石が残されている。羅生門から南に下る道が鳥羽口になる。鳥羽を通り、洞ヶ峠を越えて京都から大阪へ。
「洞ヶ峠」といえば「日和見」の代名詞。織田信長が討たれた本能寺の変(1582年)後の山崎の合戦の折、明智光秀に加勢を頼まれた筒井順慶が、峠上で戦況が定まるまで傍観していたところ。この故事によって後世、日和見主義のことをを「洞ヶ峠を決め込む」といわれるようになった。
京都から国道1号で洞ヶ峠を越え、大阪府に入る。淀川をはさんだ対岸が、天下分け目の天王山。枚方、寝屋川、守口と通り、大阪市に入っていく。そして大阪駅近くの梅田新道の交差点でスズキ・アドレスV125Gを停めた。ここが国道1号の終点になる。それと同時に、九州・門司に通じる国道2号の起点になっている。梅田新道の交差点に、大阪の道路元標がある。「あー、大阪に着いた!」と感無量。梅田新道からは御堂筋を行く。
淀屋橋、道頓堀と通り、難波へ。そこから天王寺駅前まで行き、駅近くの「スーパーホテル大阪・天王寺」に泊まった。ここは大深度温泉の「なにわ温泉・花乃井」つきの宿。にごり湯に入り、さっぱりしたところで町に出る。通天閣まで歩き、名物の「串かつ」を食べる。そのあと「ときわ食堂」で「きつねうどん」を食べ、宿に戻った。
「いよいよ明日からは、四国八十八ヵ所めぐりがはじまる!」
と思うと、いやがうえにも気分が高揚してくるのだった。
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