アドレス日本巡礼[161]
投稿日:2014年10月19日
越すに越されぬ大井川
金谷宿の中心、JR東海道線の金谷駅前を出発。旧東海道で大井川に向かっていく。その途中では大井川鉄道の新金谷駅に寄り、SLを見た。
金谷宿の大井川の「川越し場」は八軒屋橋を渡ったところにある。そこには当時の案内図が掲げられ、それを見ると八軒屋板橋(今の八軒屋橋のこと)の手前、金谷宿寄りの道(東海道)沿いに何軒かの宿が並び、「川会所」や「高札所」、秋葉社の祠があったことがわかる。
スズキ・アドレスV125Gを走らせ、金谷宿側から大井川橋で大井川を渡り、対岸の島田宿側の「川越場」へ。そこには復元された「川会所」がある。
その案内板には次のように書かれている。
この「川会所」は、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」の「大井川・川越し」資料館になっている。一見の価値のある展示。「川越し」の蓮台が展示され、川会所の中心的な役割をになった「川庄屋」と「年行事」も展示されている。
案内によると、「川庄屋」は島田宿伝馬人の中から選出され、島田宿の組頭を務める者が兼務した。主な任務は川越賃銭の統制で、日々変化する大井川の水深を勘定して賃銭を決定した。当初は2人の枠だったが、享和年間(1801〜1804年)には4人が任命された。
一方、「年行事」は川越人足を勤めた者の中から、高齢になった長老があてられた。その数は9人〜11人、あるいはそれ以上と一定してはいなかった。川会所に交替で勤め、川越賃銭を決めるための下検分を行い、川の留め明けについても決定的な意見を川庄屋に報告していたという。
そんな大井川の川越場から島田宿に入っていく。旧東海道沿いの大善寺には大井川の川留め・川明けを告げた「時の鐘」が残っている。
島田宿からは次の藤枝宿へ。旧東海道沿いには藤枝の商店街が長くつづいている。ここの名物は「瀬戸の染飯」。残念ながら今回は食べ損なってしまったので、次の機会にはぜひとも食べよう!