カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[193]

投稿日:2014年11月28日

天上の十字路を越えて

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月16日

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京都駅前を出発

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天辻峠

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天辻峠の「天誅組本陣跡」碑

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道の駅「吉野路大塔」

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「吉野路定食」

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大規模な崩落跡

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国道168号の世界遺産の案内

 京都駅前を出発し、「西国33番」第1番札所の青岸渡寺へ。西岸渡寺は南紀の那智にある寺で、京都駅前からだと33番の中では一番、遠い。国道24号で奈良を通り、五條へ。五條から紀伊半島に入っていく。国道168号で吉野川を渡り、天辻峠を越え、新宮を目指す。

 天辻峠のトンネルを抜け出ると、吉野川(紀ノ川)から十津川(熊野川)へと川の流れが変わる。そして世界が変わる。その変わり方は劇的だ。

 天辻峠では峠上の集落、天辻まで登った。天辻の廃校になった小学校の校庭には、「天誅組本陣跡」の記念碑が建っている。幕末期、十津川郷士たちは、京都を目指して天辻峠を駆け下った。「天誅(天が下す罰)だ!」と叫んで五條の代官所を襲撃し、さらに高取城を襲撃したが、幕府軍との戦いに破れ去った。このような天誅組に屋敷を提供し、食料も提供したのが天辻の庄屋、鶴屋治兵衛。ここには鶴屋治兵衛の碑も建っている。

 天辻峠は日本の峠を考える上ではきわめて重要。どういうことかというと「天辻」は文字通り天の辻で、天上の十字路のことである。谷筋をこちら側から向こう側へと越えていく峠道と、尾根筋を縫う山上道が、峠で交差している。日本にはかつて山上道が網の目状に網羅されていたのだ。

 天辻峠の峠道の途中にある道の駅「吉野路大塔」で「吉野路定食」(950円)を食べ、峠下の坂本からは十津川の流れに沿って国道168号を走り、十津川村に入っていく。十津川村は日本一の村。何が「日本一」かというと、日本で一番、村域の広い村なのだ。じつに奈良県の5分の1もの面積を占めている。それだけに我らツーリングライダーにとっては、極めて走りがいのあるエリアになっている。「日本の秘境」といってもいいようなところで、広い村内にコンビニは1軒もない。

 十津川の名所、「谷瀬の吊り橋」でアドレスを止めた。長さ297m、高さ54mの日本一の吊り橋。この吊り橋は昭和29年(1954年)、総工費800万円でできたということだが、対岸の集落のみなさんが1戸当り30万円という当時としては大変な大金を出して完成させた。「十津川郷士」を彷彿とさせる心意気ではないか。十津川人は結束が強く、自立心旺盛な山の民。それは険しい山並みで他所とは隔絶された十津川の地形から来ているように思われる。

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十津川の谷間 谷瀬の吊り橋 新宮まであと82キロ

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