カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[198]

投稿日:2014年12月5日

すべての道は和歌山城に通ず

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月17日

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「川島ビジネスホテル」を出発

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和歌山の中心街を走る

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朝食のコンビニ弁当

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和歌山城の岡口門

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和歌山城の桜

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和歌山城から見る和歌山の中心街

 5月17日6時、和歌山市内の「川島ビジネスホテル」を出発。早朝の和歌山市内を走り、「ローソン」で「のり弁&お〜いお茶」の朝食。そのあと和歌山城に行った。

 和歌山は紀伊54万石の城下町。紀伊は尾張、水戸と並ぶ徳川の「御三家」だ。城下町和歌山の中心は和歌山城。和歌山城の交差点は紀伊半島一周の幹線、国道42号の終点であり、国道24号(京都→和歌山)と国道26号(大阪→和歌山)の終点にもなっている。和歌山城で紀伊の3本の幹線国道が出会うのだ。まさに「紀伊の十字路」。「すべての道は和歌山城に通ず」といったところだ。

 和歌山城には駐車場にアドレスを止め、岡口門から入った。長さ1メートル近い黒々とした大蛇のお出迎え。蛇の苦手なカソリ、その姿を見て思わずブルブルッと体を震わせてしまう。

 岡口門には次のように書かれた案内板が立っている。

 岡口門は和歌山城南東の虎口にあたり、慶長5年(1600年)の浅野幸長入国後、大手門(表門)として創建されたものである。元和5年(1619年)の徳川頼宣(徳川家康の第10子)入国とともに大手門は一の橋口に改められ、同7年、搦手門(裏門)として改修され現在に至っている。楼門は切妻造りで、昔は向かって右に御蔵、左に二重櫓があった。北に接する土塀は当時のもので、とくに狭間(銃眼)は一枚岩のくり抜きになっている。

 城内に入ると、天守閣への道を登っていく。桜の名所の和歌山城だが、青々とした葉桜になっている。緑豊かな城内を歩いていくと天守閣の下には石組の「七福の庭」。7つの石は右から恵比寿、寿老人、弁財天、毘沙門、布袋、大黒、福禄寿の七福神を表しているという。城の石垣を見ながら登り、三重三階の天守閣を下から見上げた。和歌山城の天守閣は戦前は国宝に指定されていたが、太平洋戦争の和歌山大空襲で焼失し、昭和33年に再建された。

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天守閣への小道 七福の庭 和歌山城の石垣

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和歌山城の天守閣 和歌山城の本丸跡 和歌山城の堀

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