アドレス日本巡礼[212]
投稿日:2014年12月29日
落雷で焼失
「西国33番」第10番札所の三室戸寺の参拝を終えると、宇治から府道7号→36号を走り醍醐へ。宇治から醍醐までは途切れることなく町並みがつづく。
醍醐の「西国33番」第11番札所の醍醐寺へ。醍醐寺に到着するとまずは黒門から入った。参道をしばらく歩いたところで、次に総門から入り直した。参道を行くと三宝院の前を通り、仁王門(西大門)で拝観料(600円)を払う。仁王門は慶長10年(1605年)の建立。仁王門の金剛力士像は平安時代の作で長承3年(1134年)に造られた。
醍醐寺の釈迦堂の後身の金堂を参拝。「西国33番」第11番の札所は准胝観音をまつる准胝堂(じゅんていどう)だが、2008年8月の落雷で焼失してしまった。准胝堂のかわりに金堂で朱印をもらい、参拝するようになっていた。
金堂での参拝を終えると、高さ33メートルの五重塔を見る。均整のとれた五重塔には目を吸い寄せられたが、この五重塔は天暦5年(951年)の建立で、京都府内では最古の木造建築。金堂も五重塔も国宝、五重塔内部の壁画も国宝に指定されている。
ところで醍醐寺は醍醐山の山下の下醍醐と山上の上醍醐に分かれるが、落雷で焼けた准胝堂は上醍醐にある。
下醍醐から歩いて上醍醐へ。女人堂が上醍醐への登山口。女人堂の前に立つ道標を見ると、「准胝観音堂」までは約2・2キロ、徒歩51分、山頂の「開山堂」までは約2・6キロ、徒歩60分とある。開山堂までは行きたかったが、准胝堂が焼失してしまったので上醍醐はやめにし、准胝観音の分身がまつられている女人堂を参拝した。上醍醐は修験道の聖地で、長らく女人禁制の地だった。
女人堂には「上醍醐准胝観音堂再建ご寄進のお願い」の看板が立っていた。寄進は女人堂で受け付けるとのことで、その看板には准胝堂の完成図が描かれていた。