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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[213]

投稿日:2015年1月5日

汗かき観音

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月18日

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岩間寺からの眺め

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岩間寺の全景図

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岩間寺の大師堂

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岩間寺の本堂

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日本一の桂の大樹群

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緑の谷間を歩く

「西国33番」第11番札所の醍醐寺の参拝を終えると、醍醐から府道782号で横嶺峠を越え、府県境を越えて滋賀県に入った。京都府内では第10番の三室戸寺と第11番の醍醐寺の2ヵ所をめぐったが、京都府内の札所めぐりはこのあともまだまだつづく。

 滋賀県に入り、京滋バイパスの石山IC近くまで下ると、そこから戻るような形で滋賀・京都府県境の岩間山(443m)を目指して登っていく。この岩間山の山頂に「西国33番」第12番札所の岩間寺(いわまでら)がある。岩間寺の正式名は正法寺(しょうほうじ)だ。

 パワフルなアドレスなので、難なく山道を登りきり、岩間寺に到着。岩間山の山頂の寺なので、そこからの眺めは抜群。近江と山城の国境の山並みを一望する。

 拝観料(300円)を払って岩間寺に入ると、まずは全景図をしっかり見てから境内に入る。そして大師堂、本堂と参拝した。本堂は江戸時代初期の建物。本尊は秘仏の千手観音。「汗かき観音」と呼ばれ、多くの人たちの篤い信仰を集めている。

 岩間寺の案内板には次のように書かれている。

 創建は養老6年(722年)。越前生まれの泰澄大師が時の女帝元正天皇(第44代)の33歳の厄年の際のご病気を自らの法力により治されたほうびに勅命により建立したことにはじまる。西国三十三ヵ所観音霊場第12番、ぼけ封じ十楽観音霊場第4番である。
 御本尊は泰澄大師が当地の桂の木より千手陀羅尼を感得し、自らその木で千手観音を刻み、胎内仏として元正天皇より賜った千手観音をこめたという。現在の御本尊は、その元正天皇の御念持仏、千手観音立像で、御丈四寸八分(約15センチ)、三国伝来のエンブダゴン(印度エンブ川より採れる砂金)の金銅仏で通称「汗かき観音」、「雷除観音」、「厄除観音」と呼ばれている。
 寺伝によれば、汗かき観音とは御本尊は日没と共にお厨子を抜け出され、毎夜一三六地獄をかけめぐり、苦しむ衆生を済度し、明け方お帰りになられた時には汗びっしょりになられたことに由来する。
 また、大師が七堂伽藍建立の際、度々雷が落ち、堂宇をことごとく焼失した。困り果てた大師は、自らの法力で雷を捕え、仏弟子にしたところ、大師に2つの約束をした。すなわち、当山へお参りする善男善女には雷の難を及ばさないこと、岩間山に千年万古つきることのない水を湧かせることの2つである。これが雷除観音と呼ばれる由来で、毎年春に行われる雷神祭には多くの参詣者に賑わう。

 岩間寺の参拝を終えると、境内の日本一だという桂の大樹群やしたたるような緑の谷間を歩いた。岩間山の山頂の岩間寺は豊かな自然に囲まれた札所だ。

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