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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[227]

投稿日:2015年2月8日

亀山城のある亀岡

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月19日

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国道9号の老ノ坂峠

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「亀岡食堂」の昼食

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穴太寺への道

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穴太寺に到着

「西国33番」第20番札所の善峯寺の参拝を終えると、国道9号で老ノ坂峠を越えた。老ノ坂峠は山陰道の国境峠。峠が山城と丹波の境になっている。

 老ノ坂峠から亀岡盆地の中心、亀岡に下っていく。亀岡は城下町。JR山陰本線の亀岡駅近くの亀山城跡は明智光秀の城だった。亀山城の名前からもわかるように、亀岡は昔は亀山といっていた。山陰道の要衝の亀山だったが、東海道の亀山と区別するために明治以降、亀岡に変えられた。山陰道が東海道にやられたということか。

 国道9号沿いの「亀岡食堂」でサンマの塩焼きと焼きナス、コロッケ、ご飯とみそ汁という昼食を食べ、「西国33番」第21番の穴太寺(あなおじ)に向かう。亀岡の中心街から3キロほど。国道9号から国道423号→府道406号で行く。

 山門(仁王門)をくぐると正面に本堂があり、その脇に多宝塔や地蔵堂がある。樹齢約500年のムクの木の古木もある。

 穴太寺の本堂を参拝。本尊は秘仏の聖観音像で、33年に一度、開扉される。穴太寺の創建は慶雲2年(705年)のことで、創建当初は薬師如来像が本尊だった。本尊が聖観音像に変わるのはそれから250年ほど後のことで、「身代わり観音」の霊験譚によるという。穴太寺の参拝を終えると、寺のまわりをグルリと歩いた。その日は5月19日。周辺の水田には水が張られ、まもなく田植えが始まろうかという季節だった。

 京都府は旧国名でいうと、畿内の山城国と山陰道の丹波国、丹後国の3国から成っている。山城国の札所は京都市内の第15番から第19番までと、西山山中の第20番の計6ヵ寺で、丹波国の札所というのは穴太寺の1ヵ寺だけだが、このあとの丹後国には第28番と第29番の2ヵ寺ある。ということで京都府内の札所は全部で9ヵ寺。「西国33番」の3分の1近くが京都府内にある。

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穴太寺の山門 穴太寺本堂前の灯籠 穴太寺の本堂

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穴太寺を参拝 穴太寺の周囲を歩く 穴太寺の周辺の水田

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