アドレス日本巡礼[229]
投稿日:2015年2月12日
南の玄関口「鳥羽口」へ
2009年5月20日6時、「西国33番」札所めぐりの「京都→京都」の第2弾目に出発。四条大宮の「東横イン」から堀川通を南へ、堀川五条の交差点に出る。ここが国道1号と国道9号の交差点で、直進し、国道1号を行く。
「西国33番」の札所めぐりでは京都が拠点だ。前日も京都市内の札所めぐりをしたので、京都の通りをアドレスで走りに走った。
京都の通りというのは、碁盤の目のようにきちんと東西南北に走っているので、じつに覚えやすい。
たとえば堀川五条といえば南北に走る堀川通と東西に走る五条通の交差点、烏丸五条といえば南北に走る烏丸通と東西に走る五条通の交差点、京都の「銀座4丁目」の四条河原町は東西に走る四条通と南北に走る河原町通の交差点ということになる。
それらの通りから東側は「東入ル」、西側は「西入ル」、北側は「上ル」、南側は「下ル」で、東西南北がはっきりとしている。北が高く、南が低い京都盆地ならではのいい方だ。京都盆地を取りまく北山、東山、西山が絶好の目印になっているし、さらに北大路、東大路、西大路の京都の市街地をぐるりと囲んでいる大路がよけいわかりやすくしてくれる。
堀川五条から国道1号を南下すると西本願寺のわきを通り、東海道線や東海道新幹線などの鉄道のガードをくぐり抜ける。すると東寺(とうじ)の五重塔が右手に見えてくる。高さ55メートルのこの五重塔は日本最大だ。
九条通を右折し、早朝の東寺を参拝。京都のシンボル、東寺の創建は延暦15年(796年)。平安京遷都のすぐあとのことで、王城守護のために建てられた。その後、空海に与えられて真言宗の道場になり、最澄の天台宗の比叡山延暦寺とともに勢力を二分する。東寺には朝早くから参詣の人たちがやってきてローソクの灯がともり、線香の煙が境内に漂っていた。
東寺といえば毎月21日の縁日に開かれる弘法市。ここで目につくのは骨董品や古道具、古着の市。これでもか、これでもかといわんばかりに露店が並ぶ。皿、大鉢、壷、徳利などの陶磁器や漆器、錫器、仏像、掛軸、木彫などなど見てまわるだけで楽しくなる。1月21日の初弘法、12月21日の終い弘法はとくににぎわう。
国道1号は東寺の前で直角に曲がり、左折していくが、「京の七口」のうちのここは「鳥羽口」になる。京都に出入りする街道の玄関口を「口」と呼び、「京都に七口」ありといわれてきた。
日ノ岡峠を越えて大津に通じる口は「粟田口」、老ノ坂峠を越えて亀岡に通じる口は「丹波口」、京見峠を越えて周山に通じる口は「鷹ヶ峰口」、花背峠を越えて花背に通じる口は「鞍馬口」、途中峠を越えて敦賀に通じている口は「大原口」、奈良坂を越えて奈良に通じる口は「伏見口」、そして洞ヶ峠を越えて大坂(大阪)に通じるのがこの「鳥羽口」ということになる。
鳥羽口は京都の南の玄関口だ。平安京を南北に貫く朱雀大路が、最南の九条大路と合わさるところに、都の正門の羅城門があった。羅城門は羅生門のこと。北端の朱雀門と相対する堂々とした大門だったという。羅城門の東側に東寺、西側には西寺が建てられた。
現在残っているのは東寺のみ。羅城門跡は小公園になっている。西寺跡は児童公園になっており、そこには礎石が残っている。羅城門から南に下る道は鳥羽を通り、鴨川の流れとともに下っていくと、鴨川が桂川に合流する「草津の湊」に着く。大坂や西国に向かう旅人たちはここで舟に乗り、淀川を下っていった。そんな鳥羽口だ。