アドレス日本巡礼[230]
投稿日:2015年2月13日
天下分け目の天王山
東寺の参拝を終えると、国道1号で京都・大阪府境の洞ヶ峠まで行く。
洞ヶ峠といえば「日和見」の代名詞。織田信長が討たれた本能寺の変(1582年)後の山崎の合戦で、明智光秀に加勢を頼まれた筒井順慶が峠上で戦況が定まるまで傍観していたところ。この故事によって後世、日和見主義のことをを「洞ヶ峠を決め込む」といわれるようになった。
洞ヶ峠で折り返し、来た道を引き返し、東寺まで戻る。
次に西国街道の国道171号で京都・大阪府境の大山崎まで行く。
大山崎は今でこそ京都の一番はずれになってしまったが、かつては水運の要であり、京都と大坂(大阪)を結びつける商業の中心地で、「山崎商人」は繁栄を謳歌した。その繁栄の歴史を振り返ってみると、山崎の上に「大」をつける気分が納得できる。
豊臣秀吉軍が明智光秀軍を破って天下を取ったこの地は、まさに「天下分け目の天王山」。京都盆地の出入口に位置する天王山は、千年の都、京都の首根っこのようなところで、そこを押えるということは日本を掌握することにほかならない。
そこには次のように書かれた「山崎合戦」の案内板が立っている。
そんな歴史を秘める大山崎から天王山(270m)に登った。山頂には酒解神社。足下を新幹線が轟音を残して走り過ぎていく。JR線、阪急の電車も次々に通り過ぎていく。頻繁に電車の音が聞こえてくる天王山だ。
天王山の下で桂川、宇治川、木津川の京都盆地の3川が合流し、淀川となって大阪平野に流れ出ていく。対岸には男山(143m)。男山の山頂には源氏の氏神の石清水八幡宮がまつられている。天王山と男山にはさまれた大門のような間を関西の大河、淀川は大阪湾へと流れ下っていくのだ。