アドレス日本巡礼[243]
投稿日:2015年3月14日
丹波篠山
摂津と丹波国境の峠、美濃坂峠を越えて篠山盆地に入っていく。盆地の中心の篠山は、「デカンショ節」で知られている。「丹波篠山やまがのサルが…」の「デカンショ節」の影響なのだろう、篠山といえば丹波をつけて「丹波篠山」とよくいわれる。
篠山は松平氏、青山氏とつづいた6万石の城下町。笹山と呼ばれる小丘に築かれた平山城の篠山城跡に行く。
篠山城の案内板によると築城は慶長14年(1609年)。篠山城では「築城400年祭」がおこなわれていた。この城は徳川家康の命による天下普請。縄張りは「城づくりの名人」といわれた藤堂高虎で、西国15ヵ国20諸侯が助役だったという。家康は山陰道の要衝の地、篠山の篠山城を西国の抑えにしようとした。当時の山陰道は亀山(亀岡)から天引峠を越えて篠山に通じていたのだ。今の篠山街道(国道372号)。そして篠山からは北の福知山に向かっていた。
篠山城の外堀のまわりをアドレスでひとまわりしたあと、城内を歩く。見事な石垣が残されている。この石垣は近江の穴太(あのう)の石工によって造られてた。2000年に再建された大書院は、篠山城の中心的な建物。一大名の書院としては破格の大きさで、内部では篠山城の史料が展示されている。この時は特別展で「大書院襖絵」が展示されていた。
篠山城のあとは篠山の町をひとまわりした。御徒士町の武家屋敷群を皮切りにして、灘の酒をつくる丹波杜氏の酒造記念館、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような河原町の妻入商家群を見てまわった。篠山盆地の町、篠山は見どころ満載だ。