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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[248]

投稿日:2015年3月24日

函館の基礎を築いた男

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月21日

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旧五色町の「日露友好の像」

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五色温泉「ゆ〜ゆ〜ファイブ」の大浴場

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五色温泉の「そばめし」

 淡路島の西海岸を県道31号でさらに南下し、北淡の淡路市から中淡の洲本市(旧五色町)に入った。2006年2月、中淡の五色町は洲本市と合併し、洲本市になった。

 旧五色町の都志にある「高田屋嘉兵衛記念館」を見学し、ビデオで高田屋嘉兵衛の生涯を見た。江戸時代の後期にこの地で生まれた高田屋嘉兵衛は28歳のときに蝦夷地の箱館(今の函館)に渡り、そこを拠点に海運をはじめとして造船や北洋での漁場の経営などを幅広く手がけた。千島列島への航路を開き、択捉島を開発した。高田屋嘉兵衛は今日の函館の基礎を築いた。

 そんな高田屋嘉兵衛の石像が記念館の前に建っている。思わず函館山を背にした函館の堂々とした高田屋嘉兵衛像と比べてしまったが、地元の像は函館の像とは比較にならないくらいに小さい。像の大きさの違いに、地元と函館での高田屋嘉兵衛への評価の差を見る思いがした。

「高田屋嘉兵衛記念館」の見学を終えると、近くの高台にある「ウエルネスパーク五色」へ。その一角には高田屋嘉兵衛とロシアのゴローニン提督が並んだ「日露友好の像」が建っている。ワシリー・ミハイロビッチ・ゴローニン(1776年〜1831年)はロシア海軍の提督で、「ディアナ号」の艦長をしていた。1811年、国後島上陸の際、南部藩守備隊によって捕縛され、2年2ヵ月26日もの長い間、箱館、松前で囚人となったが、高田屋嘉兵衛の尽力によって1813年10月7日に帰国した。1816年には『日本幽囚記』をロシア皇帝のアレキサンダー1世に献上している。

 同じ「ウエルネスパーク五色」にある五色温泉「ゆ〜ゆ〜ファイブ」(入浴料600円)の湯に入った。大浴場と露天風呂。高台上にあるので、キラキラ光る瀬戸内海を一望。小豆島が見える。湯から上がると、レストランで「そばめし」(600円)を食べた。「そばめし」って何だろうと興味津々で食べたのだが、「焼きそば」と「焼きめし」を合体させたもので、なかなかの味だった。

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