カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[260]

投稿日:2015年4月18日

甘い思い出の若桜

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月23日

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国道429号を行く

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国道429号の鳥ヶ乢

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千草川の流れ

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千草の町並み

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兵庫・岡山県境の志引峠

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志引峠からの眺め

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国道29号の戸倉峠

 播磨の一宮、伊和神社の参拝を終えると、伊和の里を出発。国道29号を北へ。鳥取県との県境の戸倉峠を目指したが、波賀まで来ると、その前に国道429号で岡山県との県境まで行ってみる。まずは鳥ヶ乢(とりがたお)を越える。西日本では峠のことを「たお」とか「たわ」ということが多いが、字も「峠」のみならず「乢」を使うことがある。とくに鳥取県には多い。なお「峠」は漢字ではなく、日本人の作り出した国字だ。

 鳥ヶ乢を下ると千草川の流れにぶつかり、千草の町に入っていく。千草からさらに国道429号を走り、兵庫・岡山県境の山地へ。アドレスのパワフルなエンジンのおかげで楽々、峠道を登っていく。そして志引峠(674m)に到達。旧国でいうと播磨と美作の国境の峠ということになる。志引峠を越えて岡山県に入り、国道373号と交差する大原まで下った。「美作の大原」といえば、剣豪宮本武蔵生誕の地だ。

 大原で折り返し、再度、志引峠、鳥ヶ乢を越えて因幡街道の国道29号に戻る。

 国道29号を北へ。波賀温泉の近くを通り、引原ダムの音水湖の湖畔を走り、県道48号との分岐点を過ぎると兵庫・鳥取県境の戸倉峠に到達。旧国でいうと播磨と因幡国境の峠になる。全長1730メートルの新戸倉トンネルを抜けて鳥取県に入った。兵庫県側の因幡街道は鳥取県側では播州街道と呼ばれる。播磨に通じる街道だからだ。戸倉峠は1本の街道を因幡街道と播州街道に分けている。

 戸倉峠を下り、若桜へ。国道を離れ、若桜の古い町並みを走り、若桜鉄道終点の若桜駅まで行った。胸がジーンとしてくる。若桜は忘れられない我が思い出の地。A子さんとの出会いが思い出されてならなかった。

 1972年の秋、スズキ・ハスラーTS250での「世界一周」を終えて日本に帰ってくると、「鈍行列車乗り継ぎ」の旅に出た。寝袋ひとつを持って駅泊したり、駅周辺で野宿しながらの旅だった。

 京都から山陰本線に乗り、鳥取への乗り継ぎのため、いったん福知山駅で降りた。ちょうどその時、福知山線で大阪からやってきたA子さんに出会ったのだ。楚々とした小柄な女性。大阪の専門学校の学生で、彼女の実家が若桜だった。

「お金がないので…」
 といって、A子さんも鈍行乗り継ぎで鳥取に向かうところだった。

 ぼくたちはすっかり意気投合し、福知山始発の鈍行列車で鳥取に向かった。車内ではA子さんと向き合って座り、夢中になって話した。

 鳥取駅に着くと、A子さんは「鳥取砂丘を案内してあげる」というではないか。もちろん案内してもらった。バスに乗って鳥取砂丘まで行き、夕暮れの砂丘を彼女と手をつないで歩いた。夢を見ているような気分。それがぼくにとって初めての鳥取砂丘だった。

 鳥取砂丘から鳥取市内に戻ると、夜の町を歩き、一緒に夕食を食べた。

 食事が終わるとA子さんは、

「ねえ、若桜に来ない? 家に泊まっていってもいいのよ」
 といってくれた。

 ぼくの気持ちは揺れ動いたが、結局、彼女とは鳥取駅で別れ、山陰本線の米子行きの列車に乗った。A子さんは因美線経由若桜線の若桜行きの列車に乗った。

 こうして若桜にやってくるたびにA子さんとの出会いを思い出す。もしあの時、A子さんと一緒に若桜に来ていたら…。もしあの時、彼女の家に泊まっていたら…。

「鈍行乗り継ぎ」の旅から帰ると、A子さんとは何度か、手紙のやりとりをした。だがぼくはまた、「六大陸周遊」という長い世界への旅に出た。A子さんとの関係は、それ以来、途絶えてしまった…。

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