アドレス日本巡礼[270]
投稿日:2015年5月4日
長浜探訪
「西国33ヵ所」第30番札所の宝厳寺の参拝を終え、琵琶湖汽船の観光船で長浜港に戻ると、「長浜探訪」を開始する。
まずは長浜城へ。湖北の中心の長浜は、古くは今浜といった。豊臣秀吉がまだ羽柴秀吉と名のっていた頃、この地に城を築き、町の名前を「長浜」に変えた。秀吉にとっては初めて一国一城の主となった城なので、「秀吉の出世城」ともいわれている。湖岸の城で、秀吉は琵琶湖の船運を大いに利用して領国を発展させようとしたのだ。今の長浜城は昭和58年(1983年)に再建されたもので、「長浜城歴史博物館」(入館料400円)になっていている。ここでは江戸前期の高名な茶人であり、造園家の小堀遠州の資料も展示されているが、小堀遠州は長浜の小堀町で生まれた。天守閣に登ると琵琶湖を一望。竹生島がよく見える。
次に長浜駅の旧駅舎へ。JR北陸本線の長浜駅の南側には、旧駅舎が資料館として保存されている。現存する駅舎としては日本最古。明治15年(1882年)3月に北陸線(今のJR北陸本線)の始発駅として建てられた。当時、大津−長浜間は琵琶湖の船で、「大湖汽船」が1日3便、出ていた。長浜は北陸への玄関口だった。「旧長浜駅舎」、「長浜鉄道文化館」、「北陸線電化記念館」の3館が「長浜鉄道スクエア」(入館料300円)になっている。「北陸線電化記念館」には北陸本線などを178万キロも走ったD51形の蒸気機関車と日本初の営業用60ヘルツ交流電気機関車のED701形が展示されている。
そして古い家並みが残る北国街道を歩き、旧街道沿いの郷土料理店「翼果楼」で「ふなずし」を食べた。
ふなずしは日本のすしの原型といっていい。麹や酢を用いずに、自然発酵によって酸味を出している。店の主人は「このにおいがいやだといって、食べられない人もけっこういますよ」という。だがきついにおいとはうらはらに、味の方はまさに絶品。年数のたった高級チ−ズを思わせる。
ふなずしの材料となるフナはゲンゴローブナ(源五郎鮒)とニゴロブナ(煮頃鮒)だが、偏平な形をしたゲンゴロウブナよりも、丸みを帯びてふっくらとしたニゴロウブナの方が味がよく上等だという。ニゴロブナは2月から3月に獲る寒ブナで、竹生島北側の奥琵琶湖で獲れるものが最上だという。このように季節と場所を選んで獲ったニゴロブナのうち、生後3、4年の卵を持ったメスをふなずしにしている。
ふなずしのつくり方は次のようなもの。獲りたてのフナのうろこを包丁でこそぎ、針金状の細長い棒を口から入れ、卵を傷つけないようにして内蔵を引っかけて取り出す。そのあとフナの口から腹がふくれるまで塩を詰める。そのフナを底に塩を敷いた桶に並べ、その上に塩をかぶせまたフナを並べ…と交互に繰り返し、一番上に落としぶたをして重しをかける。3ヵ月以上たったところで、フナをよく水洗いし、水を張った桶にひと晩つけて塩抜きをする。塩漬けの次は飯漬けだ。やや硬めに炊いた飯に塩を混ぜ、それを桶に敷きつめ、その上にエラをとったところから飯を詰め込んだフナを並べる。その上に飯をかぶせ、塩漬けときと同じように、フナ、飯、フナ…と交互に重ね、落としぶたをして重しをかける。3ヵ月以上おいておくと、食べられるようになる。このようにふなずしというのは、半年とか1年という長い時間をかけてやっと食べられるようになる。
今でこそすしというと新鮮なネタを使った握りずしが全盛をきわめているが、本来のすしというのは「ふなずし」のような長期間保存できる魚肉や獣肉の漬物なのだ。