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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[272]

投稿日:2015年5月9日

北国脇往還

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月24日

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木ノ本駅前に到着

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高月の渡月寺

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浅井長政一家の像

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小谷城跡

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小谷城跡からの眺め

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北国脇往還の春照宿

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中山道の関ヶ原宿

「長浜探訪」を終えると、ふたたび木之本へ。JR北陸本線の木ノ本駅前でアドレスを止めた。今度は木之本を拠点にしてアドレスをおおいに走らせるのだ。まずは「北国脇往還」の国道365号を行く。

 古い家並みのつづく木之本宿の北国街道と北国脇往還の追分には、「右 京・いせ道 左 江戸・なごや道」と彫られた石の道標が立っている。右が北国街道、左が北国脇往還になる。北国街道は長浜宿を通り、鳥居本宿で中山道に合流、北国脇往還は春照宿を通り、関ヶ原宿で中山道に合流する。

 伊吹山地の山麓の道。高月では渡岸寺(拝観料300円)に参拝。観音堂の十一面観音は国宝だ。その十一面観音像を間近に見られるのがすごくいい。

 高月を過ぎると、国道沿いには浅井長政一家の像が建っている。長政と妻のお市の方(織田信長の妹)、3人の娘、それと長男だ。その浅井氏の小谷城跡へ。アドレスで行けるところまで行き、展望の開けた所からは湖北の平野と琵琶湖、琵琶湖に浮かぶ竹生島を眺めた。竹生島が真正面に見える。

 小谷城は克政、久政、長政の浅井氏3代の城。小谷山(494m)の全域に築かれた日本でも屈指の山城で、「日本五大山城」に数えられている。そんな小谷城は織田信長軍の激しい攻撃によって、天正元年(1573年)9月1日に落城し、浅井氏は滅亡した。

 小谷城の落城後、3人の娘たちは生き延び、それぞれが後世の歴史に名を残した。

 長女の茶々は豊臣秀吉の側室になり、その後、淀君として豊臣家に君臨した。次女の初子は大津城主の京極高次に嫁いだ。3女の達子(江)は徳川2代将軍の秀忠夫人になり、3代将軍の家光を産んだ。長男の万福丸はその後、捕らえられ、関ヶ原で磔の刑に処された。享年10歳だった。

 小谷城跡を後にすると、本陣跡の残る春照宿を通り、藤川宿を過ぎたところでは滋賀・岐阜の県境を通過。そこが近江・美濃の国境になっている。関ヶ原宿で中山道(国道21号)に合流すると、来た道を引き返し、木之本に戻った。

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