アドレス日本巡礼[273]
投稿日:2015年5月11日
栃ノ木峠往復
西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月24日
北国脇往還を往復して木之本に戻ってくると、木之本地蔵を参拝し、北国街道(国道365号)で滋賀・福井県境の栃ノ木峠まで行く。途中で神秘的な余呉湖を一周し、椿坂峠を越え、栃ノ木峠を目指して登っていく。125ccとは思えないようなパワフルなアドレスのエンジンのおかげで一気に峠道を登りきり、木之本から30キロ走って栃ノ木峠に到着。ここには関西の大河、淀川源流の碑が立っている。木之本から敦賀を通り、木ノ芽を越えて今庄に行くのが古来の北国街道だが、栃ノ木峠を越えて今庄に下っていくこの北国街道はそれよりも新しい時代のルート。
栃ノ木峠の福井県側に立つ案内板には、「栃の木峠の由来」として次のように書かれている。
この峠は標高537m。越前と近江の国境に位置して北国街道の要路にあたる。峠付近には栃の木が群生していたのでこの名がある。天然記念物(昭和49年県指定)の栃の木は樹齢約500年、樹高25m、周囲約7mの大木である。栃の木は今庄の町木にも指定され、雨にも雪にも耐え幾多の歴史を秘めて空に雄々しくはばたいている姿は雄大そのものである。越前に入る玄関口としての木の芽峠(628m)は敦賀より京に通じて西近江路と言われ、これに対して、この峠は東近江路と言われ木の本を経て中京方面に通じる道である。天正6年(1578)柴田勝家は越前北の庄に封ぜられた時、安土、京都方面への近道として道幅3間といわれる大道に改修して以来、旅人の往来で大変にぎわった。ふもとの板取は当時の宿場として栄え、「妻入り甲造り型民家」にその面影をとどめている。県指定無形文化財の羽根曽踊りの歌詞の中に、「今庄朝立ち 木の本泊り 中の河内で昼弁当」と歌われ、当時の様子をよく表している。現在は国道365号として滋賀県に通じる重要な道路になっている。
なお北国街道は栃ノ木峠を越えた今庄からは、武生、鯖江、福井を経て金沢に通じている。さらに富山から直江津へ。直江津で2本の北国街道に分岐し、1本は新潟へ、もう1本は長野を通って中山道の追分に通じている。
滋賀・福井県境の栃ノ木峠で折り返し、来た道を引き返して木ノ本に戻った。
その途中、県道285号との分岐点を通っていくが、そこが案内板にも出てくる中河内。中河内から高時川沿いに木之本に至る県道285号は大浦街道と呼ばれ、秘境ムード満点のルートだ。
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