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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[292]

投稿日:2015年6月19日

平成18年に本尊を開眼

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月26日

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繖山林道で観音正寺へ

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観音正寺の表参道の長い石段

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観音正寺の石塔

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さらに石段を登っていく

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観音正寺に到着

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観音正寺の釈迦如来像

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観音正寺の手水鉢

 中山道の武佐宿から「西国33ヵ所」第32番札所の観音正寺(かんのんしょうじ)に向かったが、近江八幡と安土山、武佐、そして観音正寺はじつに近い。

 JR近江八幡駅から安土城址の安土山(198m)までは直線距離で約4・9キロ、JR近江八幡駅から近江鉄道の武佐駅までは直線距離で約2・8キロ、近江鉄道の武佐駅から観音正寺のある繖山(432m)までは直線距離で約4・9キロ、安土山から繖山までは直線距離で約2・1キロで、4つのポイントを結ぶとほぼ長方形になる。

 観音正寺のある繖山は観音寺山ともいわれるが、表参道は麓の石寺から長い石段を登っていく。古来、西国33ヵ所の中でも難所として知られていたが、今では有料林道の繖山林道(2輪300円)で山上駐車場まで行ける。そこから表参道を10分ほど歩くと観音正寺に到着だ。

 聖徳太子が近江の国を訪れたとき、千手観音1体を刻んでまつったのが観音正寺の創建になっているという。中世には修験道の行場として知られ、繖山の山頂周辺には六角氏の築いた壮大な山城の跡が残されている。六角氏は織田信長によって滅ぼされた。繖山から尾根道を行けば、安土城址の安土山に出る。

 この観音正寺は平成5年に本堂と本尊を焼失した。現在の再建された本堂の前には「御本尊開眼御礼」の立札が立っている。それには次のように書かれている。

 平成5年に本堂、御本尊を焼失して以来、苦節十数年、全国の多くの観音信徒の皆様の御力添えと、遠くは仏教の母なる国インド政府の懐深い御支援によって白檀香木を正式に日本に輸入することが叶い、丈六の総白檀千手観世音菩薩をふたたびこの霊山の山頂にお座りいただき、開眼させていただきました。

 本尊の開眼は平成18(2006)年のことだ。

 檜造りのまだ新しい本堂は入母屋造りの銅板葺。本堂にまつられている本尊は白檀寄木造りの千手千眼観音像。インドでは白檀の輸出は禁じられていたが、インド政府の特別な許可で観音像の白檀を入手できたという。本堂の参拝を終えると境内を歩く。本堂脇の庭園風の岩山には聖観音像が立っている。境内からは湖東の蒲生野を見下ろせる。その向こうには近江富士の三上山(432m)がよく見えた。

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観音正寺の本堂 岩上に立つ小さな聖観音像 境内からは蒲生野を見下ろす

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