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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[293]

投稿日:2015年6月21日

「五個荘商人」の集落

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月26日
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繖山山麓の教林坊

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石寺楽市の案内板

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近江商人の五個荘

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五個荘を歩く

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五個荘の近江商人屋敷を見学

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五個荘の近江商人博物館

「西国33ヵ所」第32番の観音正寺の参拝を終えると、繖山(観音寺山)を下る。これで「西国33ヶ所めぐり」も近江国内のすべての札所をまわり終え、残すのは谷汲(美濃)の第33番華厳寺だけになった。

 繖山の山麓をめぐる。観音正寺の表参道の登り口の石寺では「教林坊」に行く。ここは観音正寺に残る唯一の里坊といわれ、茅葺の書院は江戸時代前期の建築。桃山風の庭園は小堀遠州の作だといわれている。
 次に「石寺楽市」へ。ここは15世紀に日本で初めて楽市楽座が開かれたところ。それを記念して現在の「石寺楽市」では、この地域の特産物を販売している。そのような説明が英語のほかにスペイン語、イタリア語、ポルトガル語の4ヵ国語で書かれているのだ。これも「南蛮大好き」の織田信長ゆずりというものか。
 石寺は観音正寺の表参道の登り口だが、つづいて裏参道の登り口の五個荘へ。五個荘は近江商人のうちの「五個荘商人」で知られている。金堂の集落には近江商人の屋敷が軒を連ねている。落ち着きのあるしっとりとした町のたたずまい。アドレスを止めて近江商人屋敷を歩いて見てまわった。「外村宇兵衛家」を見学。そこに立つ案内板には、次のように書かれている。

五個荘商人を代表する外村宇兵衛家は、近江商人として活躍した外村与左衛門浄秋(6代目)の末子嘉久が、享和2年(1802年)に分家して宇兵衛家を興したものです。文化10年(1813年)に独立して商いを始め、努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し、呉服や木綿類の販売を中心にして商圏を広げました。明治期には全国の長者番付に名を連ねるなど近江を代表する豪商としての地位を築きました。屋敷は家業の隆盛とともに数次にわたる新増築が重ねられ、主屋、書院、大蔵など十数棟が建てられました。また庭は神崎郡内では一番と評されるほど見事なものでした。

 五個荘では最後に「近江商人博物館」を見学し、国道8号で彦根へ。JR東海道本線の彦根駅前でアドレスを止めた。

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