アドレス日本巡礼[301]
投稿日:2015年7月8日
湖東三山の隆盛を知る
「湖東三山」の西明寺につづいて金剛輪寺へ。拝観料の500円を払い、本堂を参拝。ここも西明寺の本堂同様、国宝になっている。それにしても近江という国はすごいところで、国宝がゴロゴロしている。
金剛輪寺は聖武天皇の勅願寺。室町時代の二天門をくぐると、目の前に壮大な鎌倉時代の建築の本堂がある。本尊は秘仏の十一面観音。天正元年(1573年)には織田信長の焼打ちにあったが、一山百余坊の衆僧たちは自らの坊に火を放ち、寺はすでに焼け落ちたかのようにみせかけて奥深い本堂を守ったという。
「湖東三山」の最後は百済寺。拝観料の500円を払って境内を歩く。この寺は聖徳太子の勅願によって創建され、近江でも最古の寺だといわれている。創建当時は百済の龍雲寺にならって造られた。天台宗の寺になったのは平安時代の天養元年(1144年)のことだという。
百済寺は鎌倉時代から室町時代にかけてが最盛期。堂や坊舎の建築が相つぎ、一山の僧俗合わせて1200人もの人たちが、この寺域に住んでいた。しかし織田信長の焼打ちのあとは衰退していった。境内には百済寺が栄えていた頃の「百済寺三百坊跡図」の案内板が立っている。それを見ると桁はずれの大きな寺だったことがよくわかる。寺の周囲の東西南北の谷には、東谷には薬師堂、南谷には阿弥陀堂と閻魔堂、西谷には曼荼羅堂、北谷には地蔵堂がまつられていたという。