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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[346]

投稿日:2016年4月30日

箱根峠で折り返し

坂東三十三ヵ所めぐり 2009年6月8日

東海道の藤沢宿

東海道の藤沢宿

東海道の平塚宿

東海道の平塚宿

東海道の松並木

東海道の松並木

飯泉観音の仁王門

飯泉観音の仁王門

飯泉観音の本堂

飯泉観音の本堂

飯泉観音を参拝

飯泉観音を参拝

飯泉観音の大イチョウ

飯泉観音の大イチョウ

飯泉観音の梵鐘

飯泉観音の梵鐘

 江ノ島入口の交差点から国道467号経由で藤沢宿に戻ると、東海道をさらに西へ。茅ヶ崎の大渋滞をすり抜け、相模川を渡って平塚宿へ。東海道の宿場の風情はほとんど残っていない平塚宿から大磯の松並木を走り抜け、酒匂川を渡って小田原宿までいく。

 小田原からは国道255号で酒匂川を渡った飯泉へ。「坂東三十三ヵ所」第5番札所飯泉観音(勝福寺)の門前でアドレスを止めた。

 仁王門の前に立つ案内板には次のように書かれている。

飯泉山勝福寺は真言宗東寺派に属し、十一面観音を本尊とする。創立は奈良時代の頃で、弓削道鏡が流されて下野に赴くとき、千代の里に寺を建立し、孝謙天皇より賜った唐国伝来の観音像を安置したのに始まる。後に寺が焼けて当地に移され、飯泉山勝福寺と称した。坂東33観音の5番札所としても有名で、国府津の親木橋から当寺までの道路は巡礼街道と呼ばれている。棟札によれば、現在の本堂は宝永3年(1706年)に再建されたもので、江戸初期の頃の古式をとどめた地方色豊かな建物である。本寺にまつわる伝承として、曽我兄弟が仇討祈願のために日参し、五郎が百人力、十郎が十人力を授かり、富士の裾野で仇討に成功したことや、講談で有名な雷電為右衛門が田舎相撲の大岩大五郎を倒したこと、二宮尊徳が少年の頃、旅の僧から観音経を聞き、一念発起した地であるといわれている。飯泉観音の縁日は、1月18日が初観音、8月9日、10日が四万八千日、12月17日、18日がだるま市で、いずれも市が立ち、多くの人でにぎわう。

 仁王門をくぐり、本尊の十一面観音をまつる本堂を参拝。境内には樹齢千年の大イチョウがある。梵鐘の銅鐘は地元小田原の鋳物師が造ったもの。北条氏の庇護を受けた小田原の鋳物業はおおいに栄え、江戸時代になっても関東の鋳物業の中心地になっていた。

 飯泉観音の参拝を終えると、案内板にも出ている巡礼街道で国府津の国道1号に出た。そして国道1号で再度、小田原の町中に入っていく。

「西国三十三ヵ所めぐり」では札所めぐりをするだけでなく、関西をぐるりと見てまわった。「坂東三十三ヵ所めぐり」でも同じように、札所をめぐりながら関東を見てまわるつもりだ。ということで小田原からは国道1号で箱根峠まで行き、「峠返し」で折り返し、小田原に戻った。神奈川・静岡県境の箱根峠は古来、東国と西国を分ける峠でもあった。日本の大きな境目なのだ。

飯泉観音の二宮尊徳像小田原の国道1号神奈川・静岡県境の箱根峠

飯泉観音の二宮尊徳像 小田原の国道1号 神奈川・静岡県境の箱根峠

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