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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[357]

投稿日:2016年5月19日

本尊は聖徳太子の作

坂東三十三ヵ所めぐり 2009年6月13日

第22番佐竹寺の仁王門

第22番佐竹寺の仁王門

仁王門に貼られた千社札

仁王門に貼られた千社札

仁王門の仁王像(右)

仁王門の仁王像(右)

仁王門の仁王像(左)

仁王門の仁王像(左)

第22番佐竹寺の本堂

第22番佐竹寺の本堂

第22番佐竹寺本堂前の石仏

第22番佐竹寺本堂前の石仏

水戸近郊の水田地帯

水戸近郊の水田地帯

第23番佐白観音の本堂

第23番佐白観音の本堂

第23番佐白観音の本堂内

第23番佐白観音の本堂内

 スズキの125ccスクーター、アドレスV125Gを走らせての「坂東三十三ヵ所めぐり」はつづく。国道118号を南下して常陸大宮へ。常陸大宮からは国道293号で常陸太田へ。第22番札所の佐竹寺は常陸太田の郊外にある。常陸の戦国大名、佐竹氏の祈願所として知られているが、佐竹の姓はこの佐竹寺に由来する。本尊の十一面観音は聖徳太子の作だといわれている。

 佐竹寺は寛和元年(985年)、花山法皇の勅願により、元密上人が開山したといい伝えられている。佐竹氏の祈願所として寺は隆盛を極め、戦国末期には6つの支院と3つの坊を持つ大寺となった。しかし関ヶ原の合戦で佐竹氏は西軍についたために秋田に国替えされ、佐竹寺は一時、衰退した。

 佐竹寺の仁王門は昭和15年の再建だが、門内の仁王像は宝永年間(1704年〜1711年)の作。仁王門は楼門で、2階には山号の「妙福山」と書かれた扁額がかかげられ、その上には佐竹氏の家紋の「月印五本骨軍扇」が見える。この家紋は奥州藤原氏征伐の際、源頼朝から授かった軍扇にちなんだものだという。本堂は茅葺、寄棟造りで、主屋のまわりにはこけら葺のもこしをめぐらせ、中央には唐破風をあげている。天文15年(1546年)に佐竹義明が再建したとのことだが、豪壮な桃山建築の先駆けをここで見ることができる。本堂の前には何体もの石仏が並んでいる。

 佐竹寺の参拝を終え、常陸太田に戻ると国道349号で水戸へ。水戸からは国道50号で笠間へ。笠間といえば「日本三大稲荷」の笠間稲荷と笠間焼きで知られているが、第23番札所の佐白観音(観世音寺)は笠間稲荷の近くにある。本尊は十一面千手観音。笠間稲荷に隠れてしまっているような小さな寺だ。そんな佐白観音を参拝した。

 笠間からさらに国道50号を走り、第24番札所の雨引観音(楽法寺)へ。ここはアジサイ寺として知られているが、ちょうどアジサイの花盛り。山門をくぐると、参堂の両側にはアジサイが咲いている。その先の仁王門の仁王像は石像だ。雨引観音の本堂の観音堂を参拝。境内に建つ多宝塔からは筑波山がよく見える。雨引観音には350年続く奇祭のマダラ鬼神祭がある。マダラ鬼神とはインドの摩陀羅神のこと。このインドの神と関係があるのだろうか、境内には孔雀がいた。境内にはスタジイの巨木も。まるで妖怪のような姿をしている。

 雨引観音の参拝を終えると、国道50号で水戸に戻る。アドレスのここまでの走行距離は15208キロ。タイヤはもうツルツルだ。水戸市内のバイクショップ「SBSモトヴィレッジ」でタイヤ交換をしてもらった。そのあと「すき家」で「牛丼」(430円)を食べ、水戸駅南口の「東横イン」に泊まった。蘭ちゃんからもらったオーストラリア産サーディンの缶詰をあけ、それをつまみにしてカンビールをグイグイ飲み干した。蘭ちゃん、ありがとう。うまかったよ!

第24番雨引観音の山門第24番雨引観音の鐘楼第24番雨引観音の仁王門

第24番雨引観音の山門 第24番雨引観音の鐘楼 第24番雨引観音の仁王門

第24番雨引観音の本堂第24番雨引観音の多宝塔第24番雨引観音の孔雀

第24番雨引観音の本堂 第24番雨引観音の多宝塔 第24番雨引観音の孔雀

第24番雨引観音のスタジイ第24番雨引観音のアジサイ水戸の「すき家」の「牛丼」

第24番雨引観音のスタジイ 第24番雨引観音のアジサイ 水戸の「すき家」の「牛丼」

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