奥の細道紀行[21]
投稿日:2016年8月26日
ぼくの好きな町「白石」
芭蕉が一泊した白石に到着すると、白石川の河畔にある白石温泉「薬師の湯」に入った。大浴場と露天風呂。無色透明の湯。ここは元の「かんぽの宿白石」。建物は当時のままでも今は「薬師の湯」になっている。
以前、ここが「かんぽの宿白石」だった頃は、もう一軒温泉宿があった。「ホテル本陣」だ。それも今はない。「かんぽの宿白石」にも「ホテル本陣」にも泊まったことがあるので、何とはなしに寂しい。
白石はぼくの好きな町だ。ここを拠点にしての東北ツーリングを何度となくしている。
国道113号で小原温泉を通り、七ヶ宿湖畔を走り、二井宿峠を越えて山形県の高畠から赤湯温泉のある南陽へ。国道4号の絶好の裏道、国道457号で岩手県の一関へ。これらはカソリおすすめのツーリングコースだ。
「薬師の湯」を上がると、白石市内に入っていく。
国道113号沿いの「うーめん番所」で昼食。「ざるうーめん」(580円)を食べた。素麺風の細麺。白石名物の温麺(うーめん)の歴史は、江戸時代初期までさかのぼる。
当時、白石に住んでいた大畑屋鈴木浅右衛門は胃腸の弱い父親のために、旅の僧から教わった油を使わない麺の製法を会得。それが温麺のはじまりだという。素麺づくりには油を使うが、温麺づくりには油を使わない。それが素麺と温麺の大きな違いになっている。
白石の人たちは温麺が好きだ。ごく普通の食堂に入っても麺にはうどん、そば、温麺の3種類があり、たとえば「きつね」といえば、うどんでもそばでも温麺でも食べられる。
白石は奥州街道の宿場町であるのと同時に城下町でもある。
古くはこの地の土豪、白石氏の根拠地になっていた。
慶長5年(1600年)に仙台・伊達領になり、慶長7年(1602年)には仙台藩家老の片倉小十郎が白石城を築城。それ以来の片倉氏の城下町である。
武家屋敷街が残っているが、そこには「片倉小十郎」の旗がたなびいていた。
水路が流れ、趣のある武家屋敷街を歩いたあと、白石城へ。
白石城は別名、益岡城。それに因んで益岡公園内に白石城はある。
元和元年(1615年)、一国一城令が出たあとも、白石城は例外的に城の存続が認められた。明治維新にはここで奥羽越列藩同盟が結ばれた。明治維新後に城は解体されたが、平成7年に白石のシンボルとして復元された。そんな白石城の3層の天守閣に登り、白石の町を見下ろした。