奥の細道紀行[22]
投稿日:2016年8月28日
2代後の「武隈の松」
鐙石・白石の城を過ぎ、笠島の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人に問へば、「これより遥か右に見ゆる山際の里を、箕輪・笠島といひ、道祖神の社・形見の薄今にあり」と教ふ。このごろの五月雨に道いとあやしく、身疲れはべれば、よそながら眺めやりて過ぐるに、箕輪・笠島も五月雨のをりに触れたりと、
笠島はいづこ五月のぬかり道
岩沼に宿る。
武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木に分れて、昔の姿失わずと知らる。まづ能因法師思い出づ。往昔、陸奥守にて下りし人、この木を伐りて名取川の橋杭にせられたることなどあればにや、「松はこのたび跡もなし」とはよみたり。代々、あるは伐り、あるいは植ゑ継ぎなどせしと聞くに、今は千歳の形整ほひて、めでたき松の気色になんはべりし。
武隈の松見せ申せ遅桜
と、挙白という者の餞別したりければ、
桜より松は二木を三月越シ
『おくのほそ道』では笠島→岩沼(武隈の松)という順になっているが、実際には岩沼(武隈の松)→笠島になる。それともうひとつ、「岩沼に宿る。」とあるが、曽良の「随行日記」を見ればわかるように、白石を出発した日、芭蕉は岩沼、笠島、名取を通って仙台まで行き、そこで泊まっている。
それはさておき、白石から国道4号で岩沼へ。ここには「日本三大稲荷」のひとつ、竹駒稲荷神社がある。国道4号を左折し、竹駒稲荷神社に向かう途中で「武隈の松」(二木の松)を見た。根の生え際から2本に分かれていて、「二木の松」といわれている。現在の松は7代目だとのことで、芭蕉が見たのはその2代前の5代目らしい。
「武隈の松」を見たあとで竹駒稲荷神社へ。鳥居をくぐったところに芭蕉の「桜より松は二木を三月越し」の句碑がある。随身門、唐門と通り、豪壮な造りの本殿に参拝した。
岩沼からさらに国道4号を走り笠島へ。
岩沼市から名取市に入り、国道4号の西側にあるJR東北本線の館腰駅で、スズキST250を停めた。
駅前の案内板を頼りに、まずは駅近くの館腰神社、弘誓寺を参拝。その近くにある「笠島はいづこ五月のぬかり道」の芭蕉句碑を見た。そして県道39号で笠島の道祖神社へ。その近くに芭蕉が行きたかった藤中将実方の墓がある。
実方は平安中期の歌人。陸奥守への赴任の途中、この笠島の道祖神社の前を馬に乗ったまま通り過ぎようとした。それを見た村人が「霊験あらたかな神なので、馬を下りてお参りした方がいい」と忠告したという。それを無視した実方は神の怒りにふれて落馬し、息絶えたという。
そんな笠島をST250でひと回りし名取の町中へ。そこから国道4号の旧道で名取川を渡り、仙台の中心街に入っていった。
白石から仙台までの奥州街道の宿場は白石→刈田の宮→金ヶ瀬→大河原→船迫→槻木→岩沼→増田→中田→長町→仙台となる。
白石から仙台までの芭蕉の行程は、曽良の「随行日記」では次ぎのようになっている。
四日 | 雨少止。辰ノ刻、白石ヲ立。折々日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ、竹駒明神ト云有り。ソノ別当寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。 笠嶋、岩沼・増田之間、左ノ方一里斗有、三ノ輪・笠嶋と村並て有由。行過テ不見。 名取川、中田出口ニ有。大橋・小橋二つ有。左ヨリ右ヘ流也。 若林川、長者ノ出口也。此川一ツ隔テ仙台町入口也。 夕方仙台ニ着。其夜宿、国分町大崎庄左衛門。 |
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