カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

奥の細道紀行[26]

投稿日:2016年9月5日

芭蕉の感動に触れる

宮城県塩竈市/2009年

 多賀城から塩釜へ。その間では七ヶ浜を走った。スズキST250で切る潮風がたまらなく気持ちいい。七ヶ浜には松ヶ浜、湊浜、菖蒲田浜、花淵浜、吉田浜、東宮浜、代々崎浜の7つの浜がつづく。そのうちの菖蒲田浜は東北のサーフィンのメッカで大勢のサーファーが来ていた。

 七ヶ浜の小半島の北端が「松島四大観」の偉観。そこから無数の小島が浮かぶ松島湾を眺めた。「松島四大観」にはほかに幽観、壮観、麗観があるが、これらはすべて松島を一望する展望台だ。

 七ヶ浜をぐるりとまわり塩釜へ。

 塩釜に到着すると、まずは観光港に行く。ここからは松島周遊の観光船が出ている。塩竈市営の連絡船も出ている。なつかしい市営の連絡船。2002年の「島めぐり日本一周」では、50ccバイクともどもこの船に乗り、寒風沢島に渡った。「幸栄荘」という民宿に泊まったのだが、ここで出た夕食はすごかった。カツオ、ハダガレイ、シャコの刺身とマガレイの焼き魚、そのほか甘エビ、シャコエビ、スクモガニ、ホヤ、ホタテのひもの辛子漬け、シラウオやホタテ、エビの天ぷら、アサリの鍋、シラウオのお澄ましが出た。まさに海の幸三昧の夕食。塩釜の観光港の岸壁に立ち、そんな松島湾の思い出にひたるのだった。

 塩釜港からは塩釜の町中に入り、1200年前に創建された陸奥国の一宮の塩竈神社を参拝する。表参道の202段の長い石段を登り、楼門をくぐり、豪壮な造りの拝殿・本殿へ。伊達家4代、5代藩主が9年の歳月をかけて造営したものだ。境内には志波彦神社もある。塩竈神社は多賀城の守護神であり、塩釜は塩竈神社の門前町として発展した。塩釜港は多賀城の外港だった。

 芭蕉は仙台を出発すると多賀城に寄り、ここ塩釜で泊まっている。塩竈神社東参道入口の治兵衛の旅籠だったという。

末の松山・塩竈

 それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山という。松の間々皆墓原にて、翼を交わし枝を連ぬる契りの末も、つひにかくのごときと、悲しさもまさりて、塩竈の浦に入相の鐘を聞く。五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、まがきが島もほど近し。あまの小舟漕ぎ連れて、肴分かつ声々に「つなでかなしも」とよみけん心も知られて、いとどあはれなり。その夜、目盲法師の、琵琶を鳴らして、奥浄瑠璃というものを語る。平家にもあらず、舞にもあらず、ひなびたる調子うち上げて、枕近うかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝におぼえらる。
 早朝、塩竈の明神に詣づ。国守再興せられて、宮柱ふとくしく、彩てんきらびやかに、石の階九じんに重なり、朝日朱の玉垣をかかやかす。かかる道の果て、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそわが国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に古き宝燈あり。鉄の扉の面に「文治三年和泉三郎寄進」とあり。五百年来の俤、今目の前に浮かびて、そぞろに珍し。かれは勇義忠孝の士なり。佳名今に至りて慕はずということなし。まことに「人よく道を勧め、義を守るべし。名もまたこれに従う」といへり。

『おくのほそ道』

「塩竈の明神」とあるのが塩竈神社。芭蕉は塩竈神社の宮柱が太く、華やかで豪壮な社殿に圧倒され、ここでも感動している。この芭蕉の感動する旅心に、カソリは心を打たれてしまう。

 仙台から多賀城、塩釜までの行程は曽良の「随行日記」では次ぎのようになっている。

八日  朝之内小雨。巳の剋ヨリ晴。仙台ヲ立。十符菅・壷碑ヲ見。未ノ剋、塩竈ニ着。湯漬など喰。末ノ松山・興井・野田玉川・おもはくの橋・浮嶋等ヲ見廻リ帰。出初ニ塩竈ノかまを見。宿、治兵ヘ、法蓮寺門前。加衛門状添。銭湯有ニ入。

多賀城から塩釜へ

▲多賀城から塩釜へ

塩釜の観光港

▲塩釜の観光港

塩釜港を眺める

▲塩釜港を眺める

塩竈神社の石段

▲塩竈神社の石段

塩竈神社の豪壮な楼門

▲塩竈神社の豪壮な楼門

塩竈神社の本殿

▲塩竈神社の本殿

Comments

Comments are closed.