カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

奥の細道紀行[34]

投稿日:2016年9月21日

芭蕉に代わり北へ

岩手県・青森県/2009年

 芭蕉は平泉を巡ったあと一関に戻り、そこから南下した。岩出山でひと晩泊まり、鳴子温泉から尿前の関を越え、羽州へと向かっていったのだ。

 ということで「奥の細道」の奥州編では、平泉が最北の地になっている。

 だが芭蕉は平泉からもっと、もっと北へと行きたかった。少なくても蝦夷(北海道)の見える津軽海峡までは行きたかったはずだ。

 芭蕉の一関から岩出山までの行程では、わずかに1行、
「南部道遥かに見やりて、岩手の里に泊る」
 とあるだけだが、このわずか1行に芭蕉のさらなる北への世界への憧れが凝縮されている。「南部道」とは盛岡に通じる南部街道のことだ。

 そこでカソリ、芭蕉になりかわって平泉から下北半島の北端まで行くことにした。

 スズキST250を走らせ、奥州街道の国道4号を北へ。盛岡を通り、旧渋民村では「啄木記念館」を見学する。そして一戸、二戸を通り、岩手県から青森県に入った。三戸では三戸城址を歩き、五戸に到着。ここではなつかしの五戸まきば温泉に泊まった。

 ここは「温泉めぐり日本一周」の「300日3000湯」(2006年〜2007年)のとき、第2000湯目を達成した温泉宿なのだ。大浴場と露天風呂に入ったあと、大広間の食堂で生ビールを飲み干した。そのあと馬肉の「桜鍋」(1250円)を食べるのだった。

 翌朝は朝湯に入り、朝食を食べて出発。

 五戸からは七戸を通り野辺地へ。野辺地で奥州街道の国道4号と分れ、国道279号で下北半島に入っていく。むつ(田名部)を通り、津軽海峡の海岸線を一望する木野部峠でST250を停めた。

「芭蕉さん、これが津軽海峡ですよ!」

 水平線の向こうには蝦夷(北海道)が霞んで見えている。

 木野部峠を越えると津軽海峡沿いに走り、下風呂温泉の共同浴場「大湯」に入り、下北半島最北端(本州最北端)の大間崎に到着。岬の突端に立ちつくし、津軽海峡を眺めた。

 目の前のクキドの瀬戸を隔てて600メートルほど沖に浮かぶ弁天島には、白黒2色の大間埼灯台。その向こうの水平線上には、北海道の山々がくっきりと見えている。三角形の特徴ある山は函館山だ。目を左に移せば、高野崎から龍飛崎にかけての津軽半島の海岸線を一望する。

 大間では「すみよし食堂」で大間産マグロの「まぐろ丼」(2000円)を食べた。丼飯の上にのった大間マグロはぶ厚い切り身だった。

 大間からは国道338号で佐井を通り、芭蕉ならばきっと立ち寄ったであろう仏ヶ浦を眺め、脇野沢経由でむつに戻った。

 最後に恐山へ。

 恐山の地獄を歩いたあとは、境内の「花染の湯」に入った。ここは混浴の湯。ヒバの湯屋、ヒバの洗い場、ヒバの湯船がすごくいい。

 むつからは国道279号で野辺地へ。その途中、国道沿いの「はまなす食堂」で夕食。名物の「ホタテラーメン」(600円)を食べた。麺は極細、ホタテは肉厚。客は自分一人で、暮れなずむ陸奥湾を眺めながら「ホタテラーメン」を食べるのだった。

 野辺地から国道4号で青森へ。

 青森駅前到着は22時。駅前の「東横イン」に泊った。

盛岡を通過。北上川を渡る

▲盛岡を通過。北上川を渡る

「南部富士」の岩手山を見ながら走る

▲「南部富士」の岩手山を見ながら走る

旧渋民村の「啄木記念館」

▲旧渋民村の「啄木記念館」

啄木が代用教員として勤めた旧渋民尋常小学校

▲啄木が代用教員として勤めた旧渋民尋常小学校

三戸の三戸城址

▲三戸の三戸城址

五戸まきば温泉

▲五戸まきば温泉

五戸まきば温泉の「桜鍋」

▲五戸まきば温泉の「桜鍋」

五戸まきば温泉の朝湯に入る

▲五戸まきば温泉の朝湯に入る

七戸の「奥州街道碑」

▲七戸の「奥州街道碑」

木野部峠から津軽海峡を見る

▲木野部峠から津軽海峡を見る

下風呂温泉の共同浴場「大湯」

▲下風呂温泉の共同浴場「大湯」

本州最北端碑が建つ大間崎

▲本州最北端碑が建つ大間崎

「すみよし食堂」の「まぐろ丼」

▲「すみよし食堂」の「まぐろ丼」

仏ヶ浦を見下ろす

▲仏ヶ浦を見下ろす

恐山の地獄を歩く

▲恐山の地獄を歩く

恐山の「花染の湯」に入る

▲恐山の「花染の湯」に入る

「はまなす食堂」の「ホタテラーメン」

▲「はまなす食堂」の「ホタテラーメン」

青森駅前に到着

▲青森駅前に到着

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